崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』

ホン・サンス作品の神髄『ハハハ』――儒教思想の強い韓国で、酒と女に弱い“ダメ男”を撮り続ける意味とは?

2021/05/28 19:00
崔盛旭(チェ・ソンウク)

儒教的価値観と兵役によって作られた、韓国の「あるべき男性像」

<物語>

 映画監督のムンギョン(キム・サンギョン)は、作品製作もうまくいかず、教えていた大学もクビになったため、親戚のいるカナダに移住を計画している。出発前に母親(ユン・ヨジョン)に会おうと故郷の統営(トンヨン)を訪れる。その後、ソウルに戻ってから大学の先輩チュンシク(ユ・ジュンサン)と偶然に遭遇、なんと同じ時期にチュンシクも統営を訪れていたことがわかり、2人はマッコリを酌み交わしながら、統営での思い出話に花を咲かせる。

 ホン・サンス映画の驚くべきは、なんといっても出演俳優の豪華さである。本作のキム・サンギョンは、『殺人の追憶』でソン・ガンホ演じる刑事とコンビを組む若手刑事を演じていたし(役柄が違いすぎて、とても同一人物とは思えないが)、ユ・ジュンサンはテレビ、映画、ミュージカルとオールラウンドな活躍を見せる人気タレントだ。癖は強いが魅力的なヒロインを演じるムン・ソリは、韓国映画界きっての実力派女優。彼らはホン・サンス映画の常連俳優として複数の作品に登場する。ほかにも、本作以外ではチョン・ユミ(『新感染 ファイナル・エクスプレス』『82年生まれ、キム・ジヨン』)、イ・ソンギュン(『パラサイト 半地下の家族』)らトップ俳優も欠かせない。多忙な彼らがほぼノーギャラ(と私は推測している)で出演し、だらしなくも憎めないキャラクターを喜々として演じている点にこそ、ホン・サンスに対する信頼の厚さがうかがえる。

 では映画によって浮かび上がる、韓国の伝統的な“あるべき男性像”とは、どのようなものだろうか。もちろん理想の男性像など、時代や教育、育った環境など、さまざまな背景によって人それぞれ異なるだろうし、それを安易に決めつけて一般化するべきではない。だが少なくとも、男性中心の儒教的伝統の中で語られ、形成されてきた韓国社会の“あるべき男性像”を浮かび上がらせることはできるだろう。

 韓国が依然として儒教の強い影響下にあることは、本コラムを通して何度も言及してきた。その核心は「王への忠誠、師匠への順応、親への孝行」といった、支配と服従の上下関係を固定化させることにある。それが家族や社会、国家の土台となったのはもちろん、そのヒエラルキーを維持するためのイデオロギーが形成される中で、韓国における“あるべき男性像”もまた構築されていった。

 父と息子から師匠と弟子、王と臣下へと拡張していく関係の中で、その倫理に従い実践することこそが正しく、立派だとされる。こうして男たちには、家長(社会や国家レベルにおいても)に服従しつつ、自らも家長の役割(家族や社会、国家のための犠牲とか献身といった)を果たすことが求められるようになったのだ。

 こうした根深い儒教的伝統のもと、韓国の“あるべき男性像”は、日常生活の中でより具体的な形をとって、幼い頃から叩き込まれていく。私は小さい頃、大人たちからよく「男が台所に入るとコチュ(おちんちんのこと)が落ちるよ」とか「人形なんかで遊ぶとケジベ(女の子を見下す表現)になるぞ」といった言葉を耳にタコができるほど聞かされてきた。これは「男(男性像)」を作り上げていく最初の段階ともいえるのだが、同時に「女(女性像)」を排除されるべきものとして対象化している点も見逃せない。つまり韓国では、男女の間に境界線を引き、「コチュが落ちる」といった去勢脅威に近いタブーを設け、もはや無意識的に「女」をその周辺に追い出すことで「男」を聖域化し、特権化してきたのだ。

 韓国人男性なら避けて通れない「軍隊」は、その集大成といえるだろう。韓国では「軍隊に行かないと、一人前の“人間”になれない」とよく言われる(だとすれば、女性は一人前の人間にさえなれないというのかと、反問したくなるフレーズであるが)。そして軍隊といえば、上下関係による命令と服従がすべての世界。その上下関係の中で「国家への忠誠」と「親への孝行」を繰り返し強調することで、それを遂行できる家長(=人間)を育てる場として軍隊は機能している。

 最近のフェミニズム運動に対して男たちが「女も軍隊に行け」と声を荒らげる様子は、韓国人男性にとって、「男」の聖域化と特権化の意識が「軍隊」という国家的制度によっていかに強化されているかを端的に物語っているわけだ。こうして韓国での男性像は、女性の対象化とともに作られてきたと言っても過言ではない。

 では、韓国人男性の“あるべき男性像”がいかなるものか、これまでコラムで取り上げた作品の中から具体例を見てみよう。『国際市場で逢いましょう』でファン・ジョンミンが演じたドクスは、家族のために自分を犠牲にしてひたすら働き、お金を稼いでいた。『ミナリ』では夫婦に意見の対立が生じつつも、スティーヴン・ユァン演じるジェイコブは家長としての責任と特権を担って家族の生き方を決定していた。あるいはウォン・ビンのカッコ良さが際立つ『アジョシ』で、彼が演じたテシクは、隣の家の少女を助けるために命を懸けて悪と戦った。日本でもドラマ化された『ミッドナイト・ランナーは、警察幹部候補生であるギジュンとヒヨルが、社会のために巨大犯罪組織に立ち向かう映画だった。彼らはそれぞれ、家族(ドクス、ジェイコブ)、社会(テシク)、国家(ギジュンとヒヨル)において「家長」の役割を果たす典型的な“あるべき男性像”といえるだろう。もちろん、彼らによって救われ守られる側の多くが女性であることは言うまでもない。

 こうして見てみると、『ハハハ』に登場する男たちが韓国映画に描かれるほかの男たちと比べていかに特異であるか、“あるべき男性像”からどれほどかけ離れているのかがよくわかる。映画の主人公ならば、最初はどんなに愚かであっても、ヒロインに恋することで、あるいは生きがいや守るべきものを見つけることで、ヒーローとしてのポジションを獲得することができる。だがホン・サンスは、そんなのは真っ赤なうそだと舌を出さんばかりに、男たちの「素顔」を余すところなくさらけ出すのだ。

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