崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』

大泉洋ら出演『焼肉ドラゴン』から学ぶ「在日コリアン」の歴史――“残酷な物語”に横たわる2つの事件とは

2021/05/07 19:00
崔盛旭(チェ・ソンウク)

想像を絶する残酷な虐殺……龍吉たちはなぜ日本へ渡ったのか

 もうひとつの「済州島の虐殺」とは、韓国人なら誰でも知っている韓国現代史最大の悲劇「済州島四・三事件」を指している。植民地から解放された後、朝鮮戦争に至るまでの間の朝鮮半島がどのような状況下にあったのか、日本ではあまり知られていないかもしれない。

 日本という支配者が退場した後、今度はアメリカと旧ソ連の軍政が敷かれ、南の李承晩(イ・スンマン)と北の金日成(キム・イルソン)が米ソの力を背景に基盤を固め、激しく対立する日々が続いていた。朝鮮民族による新生独立国家を作るという夢は次第に遠のいたのだが、その夢がまだ残っていた済州島では、島民たちが反共を掲げる李承晩によって「アカ」と見なされ弾圧の対象にされていった。

 48年にアメリカ主導で新政府が樹立されると、済州島では島内で対立を深めていた左派と右派のうち、左派による武装蜂起が起こり、57年に最後の武装隊員が逮捕されて事件が終結するまで、その鎮圧の過程で実に多くの民間人が「アカ」とされ殺されたのである。全貌はいまだわかっていないが、韓国政府の記録によれば少なくとも2万5,000~3万人が犠牲になり、実際にはその倍以上が虐殺されたともいわれる。

 済州島で親や兄弟、親戚がみな殺され、村が丸ごと焼かれたと龍吉が語るように、想像を絶する残酷な虐殺が行われた結果、彼は帰る故郷まで失ってしまったのだ。もともと朝鮮半島内での差別や貧困に苦しんできた済州島民たちは、植民地時代から日本に渡ってくる人の数が多く、とりわけ22年に定期連絡船「君代丸」が就航して以降、済州島〜大阪間の渡航が急増したこともあって、大阪には済州島出身の在日コリアンが多いといわれてきた。それが「四・三事件」によって虐殺の恐怖と混乱に陥ったことで、美花を連れて逃げてきた英順のように、島民たちは安全な場所を求めて再び日本にやって来たのである。

 ちなみに、この事件の犠牲者や遺族の名誉回復と真相究明のための「済州4・3特別法」が2000年に韓国で成立し、03年には当時の廬武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が初めて国家暴力を認め、犠牲者に対して正式に謝罪をしている。

 龍吉家族のしたたかさは、こうした悲しく残酷な歴史に屈せず生き延びてきた生命力そのものであったかもしれない。そして、「韓国には帰れない、帰らない」という強い意志ゆえに、龍吉は息子の時生にも、いじめに屈しない強さを求めてしまったのだろう。「焼肉ドラゴン」閉店後、家族は帰国船に乗って北朝鮮を目指したり、韓国に渡ったり、日本に残ったりと、それぞれの道を歩み始める。それはもちろん、自らの居場所を求めた選択の結果であるが、朝鮮半島から生まれたコリアン・ディアスポラが、さらに在日ディアスポラへと展開していくさまを見ていると、歴史に翻弄されること、その計り知れない運命の重みを感じずにはいられない。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

最終更新:2021/05/07 22:23
焼肉ドラゴン
ほんの数十年前の話なのが恐ろしいよ
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