【連載】堀江宏樹に聞く! 日本の“アウト”皇室史!!

「小室さんとの結婚」もはや天皇命令!? 皇族の“婚約破棄”と“再婚”にみる、眞子さまの「正しさ」とは

2021/05/15 17:00
堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト)

皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!

gettyimagesより

▼前回▼

――大正時代に起きていた皇族の結婚トラブルについて、前回に続いて聞かせてください。現代の眞子さまが、「結婚したい!」というご意志をお持ちなのとは逆で、大正時代の久邇宮朝融王(くにのみや・あさあきら・おう)は「婚約はしたけど、結婚したくない!」と“ワガママ”を言いだしたと聞きました。

堀江宏樹氏(以下、堀江) しかし、朝融王のフィアンセである酒井菊子さん(の実家)は、婚約解消には断固反対。菊子さんには、朝融王への特別な思いがあったという形跡もあり、菊子さんの父である酒井伯爵は「愛娘をキズモノにするおつもりか!」と久邇宮家に猛然と反抗しつづけたのでした。

 それでも久邇宮家側は、「皇族である自分たちが、天皇陛下から勅許をいただいた婚約を自分の手で解消することなどできない! 酒井家から辞退しなさい!」というばかり。

――両家の関係がこじれているように見えますが、宮内庁はどう立ち回ったんでしょうか?

堀江 久邇宮朝融王に対し、「結婚問題で皇族がこれほどモメたのは、皇室の権威を損ねること。かくなる上は、臣籍降下して責任をお取りなさい」という提案が宮内府(当時の宮内庁)からなされました。しかし、久邇宮家はそれにも猛反発。

 ちなみに、これらのやりとりはすべて秘密裏に行っていたのですが、きな臭いニオイを嗅ぎつけた記者たちの手で、複数の新聞がこの問題をスクープ。収集が完全につかなくなりました。裕仁親王(後の昭和天皇)によって結婚の勅許が与えられてから、約2年後の1924年(大正13年)9月のことです。

――現代の眞子さまのケースでも、小室さんと結婚するなら臣籍降下してから……という声が以前からありましたよね。皇女として眞子さまが、小室さんと結婚するなら、1億円以上にのぼる「一時金」が発生することが問題視されているようですが。

堀江 問題を起こした皇族が、皇室に責任を取る方法のひとつが臣籍降下、つまり平民に身を落とすことなんですね。これは武士における切腹に相当する行為です。

 ですから、眞子様に臣籍降下などと世論が言い出すのは、切腹勧告しているようなものでまったく感心できません。

――皇族の方は結婚問題で一度、炎上し始めると、鎮火しにくいのでしょうか。

堀江 そうですねぇ。家と家だけの問題を通り越して、国民から“監視”されてしまうことになるので……。ですから、皇族の結婚はトラブルが起きた後の処理が、本当に難しいんですよね。

しかし、朝融王の婚約拒否問題では、事態は思わぬ展開をみせました。お話したとおり、菊子さんに、新しく良い結婚相手が見つかったのです。

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