『ザ・ノンフィクション』レビュー

『ザ・ノンフィクション』東北出身者に「地震のとき大丈夫でしたか?」と聞くことの重さ「わすれない 僕らが歩んだ震災の10年<後編>」

2021/03/15 17:51
石徹白未亜(ライター)
『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)公式サイトより

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。3月14日は「わすれない 僕らが歩んだ震災の10年<後編>」というテーマで放送された。

あらすじ

 東日本大震災による津波の被害で全校児童の約7割にあたる74名もの子どもと教員10名が命を落とした宮城県石巻市の大川小学校。当時小学5年生だった哲也は山に流され助かるも、同じく大川小学校に通っていた妹と、母親、祖父を喪い、学校の近くにあった自宅も津波で流されてしまう。

 奇跡の子、として哲也のことを多くのマスコミが注目する。なお、大川小学校の児童で当時マスコミの取材に答えていたのは哲也だけだった。「全国のみんなに東北はこれほど被害を受けたので知ってもらいたいと思った」と小学生の哲也は話すも、父親の英昭は「あんまり出来過ぎた哲也を演じるのは、あいつにはものすごく苦痛だと思う」と案じる。哲也に対し出たがり、目立ちたがり屋という声もあったといい、普段は明るい様子の哲也もこのことを話すときは顔を曇らせる。

 21歳になった現在の哲也は当時を「(大人に)気は使ってたんじゃないですかね。俺もそうでしたけど、子どもながらに大人の表情とか雰囲気って。子どもって敏感じゃないですか。大人が嬉しい、悲しい、怒ってるとか。喜怒哀楽ってすごく伝わってくるんですよね。大人が大変だから自分たちが迷惑かけちゃいけないって」「震災当時の子どもは子どもじゃいられなかったんじゃないですかね」と振り返る。

 震災翌年の2012年から、地震直後の大川小学校の教職員側の対応を問題視する声が高まっていく。すぐ裏手に山がある立地にもかかわらず、児童たちは津波到着直前までの51分間校庭に待機させられていた。遺族の3分の1が県と市を提訴。原告団の中には英昭もいた。英昭は夜勤もある仕事と大川小学校のガイド、裁判の準備にと多忙な日々を送る。

 また、大川小学校は訪れる人が絶えない震災の象徴的な場所となっていったが、遺族の中には学校自体の取り壊しを望む声もあった。哲也は思い出のある学校を残したく、東京で開催されたシンポジウムにも参加するも、そこで、亡くなった友人の母親が取り壊しを希望している声を聞き、「すごく申し訳ないというか、みんなどういう気持ちで亡くなっていったのか考えてしまって、そこからいろいろ連想してしまって。重くなってきた」と沈痛な面持ちで胸の内を話す。

 その後、卒業生を中心に校舎を残すことを望む声が集まり、2016年3月、大川小学校は震災遺構として保存することが決まる。なお、遺族の県と市を訴えた訴訟も2018年4月、仙台高等裁判所、原告側が勝訴(のちの19年10月、最高裁でも遺族側の勝訴が確定)した。哲也自身は裁判を「好きじゃない」と話していたが、裁判を終えた英昭について「(今後は)自分の時間をしっかり取ってもらえればいいんじゃないかなって思います」と話した。

 そして震災から10年の2021年。哲也は番組スタッフに対し取材は今回きりにしてほしいと切り出した。自分自身が大川小学校の哲也であることを演じていた、と話し、「誰かのためじゃなくて自分のために時間を使わないといけない時期にきてるんじゃないかなと」と話す哲也の意思を番組スタッフも尊重。震災から10年にわたる哲也への取材が終了した。

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