[連載]崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』

韓国映画が描かないタブー「孤児輸出」の実態――『冬の小鳥』 では言及されなかった「養子縁組」をめぐる問題

2021/03/05 19:00
崔盛旭(チェ・ソンウク)

『冬の小鳥』 韓国の養子をめぐる、信じ難い「噂」

 もう一つは、「未婚の母親」に対する差別(生まれた子どもへの差別も含めて)だ。これもやはり、女性に対する性的抑圧やタブーの多い儒教からの影響だが、戦争という特殊な状況下における孤児を除いて、捨てられる子の大半を「未婚の母親」の子が占めているのは、経済的な理由はもちろんのこと、周囲の目や差別を恐れての苦渋の選択といえる。こうして捨てられた「どこの種かも知らない」子を引き取ることを韓国人は拒んできたのであり、結果的に子どもたちは海外に送らざるを得なかったのである。

 近年は国際的な批判も高まり、さすがに韓国社会も意識の転換を図って、著名人が率先して養子を引き取るなど国内の養子縁組が少しずつ増えているとはいうものの、海外での養子縁組に比べると、まだまだわずかな数だ。そもそも先祖代々、いろいろな血が混ざって子どもは生まれるはずなのに、父系(男性)のみの「純血」という無意味なファンタジーに囚われている限り、「孤児輸出」の汚名から抜け出す道は当分なさそうだ。 
 
 そして忘れてはならないのが、誰よりも苦しむのは子どもたち自身だということ。当事者たちには親から捨てられた記憶や人種差別、アイデンティティーをめぐる問題まで、養子に行って大人になってからも苦しみを抱えて生きる人が多いという。現に韓国では、そういった養子を支援するための団体も発足している。

 本作でスッキと離れ離れになったジニは、穴を掘ってその中に入り自らを葬ろうとする。アッバス・キアロスタミ監督の『桜桃の味』(97)のラストシーンを連想させるようなこの場面、9歳の子どもが無意識に「死」を選ぼうとする姿に、ジニの苦しみの大きさを思わずにはいられない。しばらくして穴から出てきたジニは、一度自分を葬ったことで何かが吹っ切れたように、フランスへの養子縁組を受け入れ遠くの地に旅立っていくのだ。 
 
 ジニの現在がウニー監督であるとすれば、ジニは養親の下で「幸福に成長した」といえるかもしれない。だが養子をめぐっては、さらに信じられない「噂」も存在する。

 アメリカに養子に行く子どもたちを現地まで引率するアルバイトは、ひそかに人気があった。子どもを連れていって引き渡してしまえば、あとは悠々とアメリカ見物ができたからだ。実際、その仕事でアメリカに行ってきた後輩がいたのだが、帰ってきた学生たちの間で恐ろしい噂が流れていた。それは「臓器目的で養子にとられる子どもがいる」というもの。

 つまり、アメリカ人の中には、臓器移植が必要な自身の子どものために養子をとり、孤児の健康な臓器だけを取り出すと、後はわからないように“処分”されるのだそうだ。学生運動家がこの噂の真相究明を求めて活動したりしたが、社会問題にはならずじまいだった。信じ難い、信じたくない話だが、真相を知るのはそう簡単ではないだろう。
 
 9歳の子どもの目線から、韓国での最後の記憶が淡々と描かれている本作で、ここまでに挙げた海外養子縁組のさまざまな問題に言及されることはない。だからこそ逆に、語られていない韓国の現実が「余白」となって見えてくる。その余白には、依然として子どもたちを海外に送り続ける韓国に向けられた、静かで力強い「なぜ?」という疑問も刻まれているように思う。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

最終更新:2022/11/04 18:17
韓国映画・ドラマーーわたしたちのおしゃべりの記録2014~2020
韓国の映画界でも触れられない“闇”があるとは……
アクセスランキング