[連載]崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』

韓国映画が描かないタブー「孤児輸出」の実態――『冬の小鳥』 では言及されなかった「養子縁組」をめぐる問題

2021/03/05 19:00
崔盛旭(チェ・ソンウク)

『冬の小鳥』 「感動作」「人生へ旅立つ少女の物語」という作品評価への違和感 

<物語> 

 1975年、9歳のジニ(キム・セロン)は父親(ソル・ギョング)に連れられ、ソウル郊外にあるカトリックの児童養護施設にやってくる。孤児たちが集まるその場所に、父親はジニを預け、無言のまま帰ってしまう。去っていく父親の後ろ姿を不安そうに見つめていたジニは、何日たっても“捨てられた”という現実が受け入れられず、周りの人に反発を繰り返す。そんなジニを年上のスッキ(パク・ドヨン)は気にかけ、ジニも少しずつスッキに心を開いていく。 
 
 一方、子どもたちを養子として引き取るため、施設には時々アメリカ人夫婦が訪れる。だが、養子になるには大勢の子どもたちの中から選ばれなければならない。気が乗らないジニに対して、スッキは1日でも早く引き取られようと必死に英語を勉強し、アメリカ人の前では余計に明るく振る舞ったりする。その努力は功を奏し、ついにスッキはアメリカ人夫婦の養子として迎えられる。頼もしかったスッキに去られ、残されたジニは再び周囲に反抗的になっていくが、ある日、ジニにも養子の話が舞い込んでくる。行き先は、幼い少女にとってはあまりにも遠いフランスだった。
 
 ジニを演じるキム・セロンの類いまれな演技に驚かされる本作は、『バーニング 劇場版』(18)や『ペパーミント・キャンディー』(1999)の監督であるイ・チャンドン氏がプロデューサーを務めている。フランスの映画祭に赴いた際に、フランスの国立映画学校を卒業したウニー監督と出会い、9歳でフランス人に養子として引き取られた経験に基づく彼女の脚本を読んだイ氏は、すぐに「映画化すべきだ」と製作者に名を連ねたという。日本では是枝監督が若手の育成に力を注いでいるが、韓国ではイ氏が同じような志を持った作り手といえよう。 
 
 彼のもとからは、本作のウニー監督をはじめ、『私の少女』(14)のチョン・ジュリ、本コラムでも取り上げた『君の誕生日』(18)のイ・ジョンオンら、特に女性監督が次々と育っているのも素晴らしい。男尊女卑の甚だしい韓国社会を、女性のまなざしから掘り下げ、問題を提示する彼女たちの作品が、韓国映画の多様性を担っていることはいうまでもない。本作は日本でも、良質な作品選定に定評があり、女性監督を積極的に紹介してきた、東京千代田区にある「岩波ホール」で公開され、注目を浴びていた。 
 
 ただ、韓国では作品自体は高く評価されたものの、興行的には成功とはいえない結果だった。莫大な製作費をかけた商業的な大作がスクリーンを占領する韓国映画界の配給システムの中で、イ氏が製作に関わっているとはいえ、本作のような低予算のインディーズ映画が観客の目に触れる機会は絶対的に少ない。

 だがそれ以上に気になったのは、評論家や観客のレビュー。「悲しみを乗り越えていく少女の涙の感動作」とか、「新しい人生へ旅立つ少女の物語」といった感傷的な内容ばかりで、なぜ幼い子どもたちが捨てられ、しかも海外にばかり養子に行くのかという、作品の根底を成す問題に目を向ける人はほとんどいなかったのだ。 

 近年では、あらゆる社会問題を映画化している韓国でも、「養子縁組」「孤児輸出」といったテーマは、映画においてはいまだタブーである感は否めない。私の知る限りでは、スウェーデンに養子として引き取られ、虐待や人種差別に苦しんだ挙げ句、韓国に帰国した女性の人生を描いた『スーザン・ブリンクのアリラン』(チャン・ギルス監督、91)くらいのものだ。

 養子に行った当事者が作り手となって、ドキュメンタリーや自主製作映画を発表することはあっても、メジャーな商業映画のテーマとして取り上げられることはない。 映画にも取り上げられないほどの無関心、「孤児は海外に引き取られるべき」という認識がまかり通っている現実。

 その理由を探すためには「孤児輸出」の歴史をたどらなければならない。

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