K-POPタテ・ヨコ・ナナメ斬り

TWICE、J.Y.Park作曲の「Switch to me」から繙く、K-POPブーム前夜90~00年代の“韓国製”NJS楽曲紹介

2021/03/03 19:00
e_e_li_c_a(ライター)

킵식스 (Keep Six) - 나를 용서해 (Forgive me、私を許して) (1996/07)

 YGエンタテインメント第一号アーティストとしてデビューした、男性3人組グループKeep Sixのデビューアルバム『Six In The Cambah』のタイトル曲で、デビュー曲です。同じアルバムに入っている後続曲「어떻게」(オットケ、どうしよう)もNJS楽曲です。

 メンバーのうち2人はソテジワアイドゥルのバックダンサー出身で、メインボーカルのイ・セヨンは韓国系ブラジル人です。ソテジワアイドゥルのメンバーでYGエンタテインメント創始者、ヤン・ヒョンソクがソテジワアイドゥル解散後に作ったグループということで話題になりますが、当時NJSといえばDEUXの専売特許で、先に紹介したRoo’Raやイ・ヒョンドなどNJS楽曲で活動するアーティストが多く、無難で印象に残らなかったそうです。

 さらに96年末にはソテジワアイドゥルのメンバー、イ・ジュノが発掘したブレイクダンスができるダンサーを集めて作った男女混合グループYoung Turks Clubが大ヒットし、人気絶頂のH.O.Tが音楽授賞式で賞を総なめしたことで、大衆からは忘れられた存在になってしまいます。

 Keep Sixの商業的な失敗は今でもYGエンタテインメントの黒歴史扱いされているそうですが、その後デビューしヒットするJinuseanなどにノウハウが生かされました。

■업타운 (Uptown) – 다시 만나줘 (Back to me、やり直そう) (1997/01)

 今現在も韓国でラッパーとして活動するユン・ミレの所属していたHiphopグループ・Uptownのデビュー曲です。ユン・ミレは、アフリカ系アメリカ人の父と韓国人の母を持つアメリカ生まれの韓国系アメリカ人で、後のUptownのリーダー、チャン・ヨンジュンの目に留まり14歳でアメリカから韓国に移住することとなります。

 韓国ではインターナショナルスクールに通いますが、肌の色などで差別を受け、中退するなどつらい経験をしました。デビュー時15歳でしたが、芸能活動に支障があったため19歳と偽り活動します。途中で年齢が明らかになりますが、当時はそこまで問題視されずUptownの活動は続きます。ユン・ミレは同じ事務所の別ユニットTashannie(タシャニ)として活動するためUptownからは脱退し、ほかのメンバーが薬物疑惑で拘束されたことから、最終的には解散となりますが、後のHiphopシーンに多大な影響を与えます。

 「다시 만나줘 」(Back to me)の作曲は、先述イ・スンチョルの「방황」(彷徨)を作ったキム・ホンスンとチャン・ヨンジュンで、彼はほかにもUptownの曲をたくさん作ります。チャン・ヨンジュンは02年にKBSで放送された『Space HipHop Duck』というアニメの音楽監督も務め、OPとEDはYGエンタテインメント所属のアーティストが担当しています。

 Uptownは05年に再結成されますが、盗作疑惑などもあり「UPT」に改名し、今では韓国Hiphop界の重鎮となったラッパーSwingsなどをメンバーに迎えたものの、ヒットとまではならず、現在は解散の発表こそされていませんが、空中分解状態となっています。

■언타이틀 (Untitle) – 날개 (Wings、翼) (1997/2)

 自分たちの曲全てを作詞作曲するユ・ゴンヒョンと、作詞・ラップ・振り付けをするソ・ジョンファンの2人組グループ、アンタイトルの2枚目のアルバム『The Blue Color』のタイトル曲です。 DEUXファンだった2人はデモテープをイ・ヒョンドに送り、彼と同じ事務所に所属して音楽活動をしました。この曲はミリオンヒットを記録し、さまざまな音楽番組で1位を獲るほどの人気がありましたが、3枚目アルバムの収録曲「자살」(自殺)という曲が放送審議規定に引っかかり、プロモーション活動ができなくなり、人気は低迷します。

<韓国の音楽背景にある「健全歌謡」「セマウル歌謡」>

 韓国の“時代”を象徴する音楽は、1960年代半ば頃~70年代にかけては「貯蓄の歌」「豊かに暮らそう」「今年は働く年」など政府主導で進められる音楽統制政策の一環で作られた「健全歌謡」(政府権力者にとって望ましいものが「健全」という基準)、70年代は「勤勉」「自助」「協同」を基本精神とした農村近代化運動の「セマウル歌謡」があります。

 どちらも歌を利用して国を一丸とする、いわゆる“精神高揚運動”のようなものですが、80年代は「健全歌謡挿入義務制」が実施され、発売されるレコードやテープなどの音源全てに必ず1曲は「健全歌謡」を収録しなければいけなくなります。

 88年にその制度が廃止され、90年代はそういったものから解き放たれた時代……かと思いきや、アンタイトルのほとんどのアルバムには「奉仕」「犠牲」「愛」「正義」「礼儀」などのキーワードが散りばめられており、セマウル運動のスローガンとして掲げられた「잘 살아보세」(幸せに生きよう)を表しているようで、“ほとんどセマウル歌謡”と評価されていたりもします。

 アンタイトルの解散後もユ・ゴンヒョンはgodやPSY、オム・ジョンファ、Roo’Raなどの作曲を担当し、なんとあの江南スタイルはPSYとユ・ゴンヒョンの共作です。ついこの間リリースされたヒョナの「I’m Not Cool」を始め、PSYが設立したP NATIONの所属アーティストの楽曲は、ほとんどがユ・ゴンヒョンによるものです。

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