仁科友里「女のための有名人深読み週報」

有働由美子アナ、女友達の写真を見て「余りもの」呼ばわり! セクハラじみた発言なのに炎上しないワケ

2021/01/15 12:30
仁科友里(ライター)
『news zero』(日本テレビ系)公式サイトより

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「全然覚えてなくて」有働由美子
『うどうのらじお』(ニッポン放送、1月8日)

 2018年に起きた連続ドラマ『ちょうどいいブスのススメ』(日本テレビ系)改題事件をご記憶だろうか。

 「ちょうどいいブス」を自称する相席スタート・山崎ケイの同名エッセイ(主婦の友社)をドラマ化すると日本テレビが発表したところ、「ちょうどいいブス」という言葉が、女性蔑視に当たるのではないかとSNSが炎上。ドラマが放送される前に『人生が楽しくなる幸せの法則』へと改題されるという珍事件に発展した。

 SNSの意見がドラマのタイトルを変えさせたということは、SNSの影響力が大きくなりつつあること、性差別やセクハラに対して嫌悪を感じる人が多くなってきたことの裏付けになるだろう。けれど、かといってSNSでの意見が世の中の多数派であるとは思えないし、性差別やセクハラに対しての意識が向上したかというと、いまだ追いついていない人のほうが多いのではないだろうか。

 例えば昨年12月25日、フリーアナウンサー・有働由美子が、パーソナリティーを務める『うどうのらじお』(ニッポン放送)でクリスマスの思い出話をしていた。有働アナが青春を過ごした90年代はバブル期で、学生でもカップルはアルバイトして得たお金で、フランス料理を食べ、ホテルに宿泊するというのが珍しくなかったそうだ。しかし、有働アナの家はお父上が厳しく、「外で男と飯を食いに行くくらいだったら、我が家で(クリスマスパーティーを)やれ」と言われていたそう。

 有働アナは「言っちゃ悪いけど、どんな女子大生もクリスマスはなんか予定が入っていた時代だったんですけど、そこから余った女子だけが我が家に来てクリスマスをやっていて、それが毎年写真に撮っておいてあるんですけど。余るなっていう。このメンバー余るなっていうのが今振り返って、私も含めてなんですけど思いますが」と話していた。

 有働アナの仕事は「面白い話」をすることなので、その話が必ずしも真実である必要はない。きっとNHK時代からのサバサバ&自虐キャラを生かして、このネタをご披露なさったのだと理解している。しかしこの話は自虐というより、セクハラ寄りのネタではないだろうか。

 クリスマスに予定がない女子を「余った女子」と決めつけているし(たまたま彼氏がいなかっただけで、余りもの扱いされる筋合いはない)、また、写真を見て「このメンバー余るな」と思ったということは、視覚的な問題、つまり外見に難があると言いたいのだろうか。

 自虐ネタの大原則は「自分の話」であることだと思う。有働アナが自分を「余った女子」と言うのは本人の主観なのでアリだが、他人サマを「余った女子」と呼ぶこと、またその「余った」理由を外見に起因させるのはいただけない。女性に対して「余っている」という表現を使うことは「女性は男性に選ばれるもの、選ばれない人は余りもの」という価値観を少なからず持っていることになる。

 2018年9月23日に出演した「ボクらの時代」(フジテレビ系)で、有働アナは「セクハラ問題は、うちら世代が許してきちゃったから」と発言していたが、「余った女子」「このメンバー余るな」発言に鑑みると、「彼氏がいなければ、女性は一人前ではない」「女性は見た目が大事」といわんばかりの有働アナの思考回路は、まさにセクハラするおじさんと一緒ではないだろうか。

 このようにセクハラ要素がいくつも含まれているように感じられた有働アナの小噺であるが、特に気にする人はいないようで、SNSでも話題にはならなかった。これは、性差別やセクハラへの意識が、実はそこまで向上していない証しともいえるだろう。

 しかし一方で、有働アナに限っていうと、別の見方もできる。「謙遜」という文化のある日本では、あの国民的人気女子アナが一段も二段もへりくだる話をしてくれているとして、細部をすっとばし、「飾らない人柄」「偉ぶらない、気さくで砕けている」と、全て好意的に解釈する人も多いのではないだろうか。

ウドウロク
着ぐるみを被っているようなものね
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