[連載]崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』

『パラサイト 半地下の家族』ポン・ジュノ監督が尊敬する“怪物”――キム・ギヨンが『下女』で描いた「韓国社会の歪み」

2020/12/25 19:00
崔盛旭(チェ・ソンウク)

キム・ギヨンを“再発見”したのは、日本と欧米だった

 今でこそ韓国でもその名を知らぬ者はいないほどだが、実際に、キム・ギヨンは過去の映画人として長い間忘れ去られていた。一般的に、キム・ギヨンの再発見は1997年の釜山映画祭での回顧上映に始まるとされるが、実はそれ以前の96年に、日本の国際交流基金が行ったアジア映画監督の特集によって日本国内で再発見され、その後に釜山をはじめ世界各国で再評価の動きが広がっていった。私自身、日本に留学するまでキム・ギヨンの名はまったく知らなかった。

 フィルム自体が失われていたり、ボロボロの状態でしか残っていない作品も多い中、不完全なままだった『下女』を復元したのも、『タクシードライバー』などで知られる巨匠マーティン・スコセッシが率いる団体「World Cinema Foundation」であった。このように、現在、韓国の映画人たちが称賛してやまないキム・ギヨン監督は、日本と欧米の貢献によって見事に蘇った映画作家なのである。

 だが再び脚光を浴びたのもつかの間、1998年、招待を受けていたベルリン映画祭への出発前日に、キム・ギヨンは自宅の火事によって夫婦ともども不慮の死を遂げた。なお、遺作となった『死んでもいい経験』は、製作自体は90年だが、作品の出来に満足しなかった監督自身が公開を拒否したため、死後になって世に出た映画だった。

 キム・ギヨン監督の最も特徴的な点は、代表作である『下女』をあたかも強迫観念のように反復し続けたところである。60年代半ば以降、低迷していた彼は『下女』のセルフリメイクである『火女』(71)をヒットさせると、『虫女』(72)、『水女』(79)、そして『下女』の二度目のセルフリメイクである『火女’82』(82)を発表。「女シリーズ」とくくられる一連の作品を通して、繁殖を求める恐ろしいまでの女性への欲望と、対照的に、不能に陥る男性を描いてきた。そして「欲望と本能」「繁殖と不能」は、「女シリーズ」以外でもキム・ギヨン作品に一貫して見られる主題だ。

 ここからは、彼の代表作『下女』を取り上げ、キム・ギヨン的な主題がいかに表現され、それが当時の韓国社会とどのような関係にあったかを紹介しよう。

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