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関ジャニ∞「26歳を振り返る」感動企画

2020/10/06 16:43
サイゾーウーマン編集部
関ジャニ∞・横山裕、「俺のラストの親孝行だった」と語る「亡くなる前のオカンに見てもらった」ステージとはの画像1
関ジャニ∞の歴史はエイターの歴史でもあるよね

 関ジャニ∞の冠番組『関ジャニ∞クロニクルF』(フジテレビ系)が10月5日に放送された。今回は、お笑い芸人やミュージシャン、野球選手など、さまざまなジャンルの有名人は26歳で“人生の転機”を迎えているという仮説をもとに、関ジャニ∞メンバーの26歳を振り返った。

 まず、2007年に26歳だった横山裕は、同年にドラマ『拝啓、父上様』(フジテレビ系)に出演し、初のソロコンサート『横山YOUがヤっちゃいますコンサート』を開催。横山は「このソロコンサートを皮切りに3回やって、最終的に大阪城ホールに1人で立ったんですよ。それを亡くなる前のオカンに見てもらったのが、一番デカい」と、当時を振り返る。ソロコンサートを見せたことが「俺のラストの親孝行だったと思う」とも語り、26歳で人生に大きな転機があったことは間違いないよう。

 村上信五は翌08年に26歳を迎え、この年にセルフプロデュース舞台『未定「壱」』を開催。これがのちに、10年間続いた村上の1人舞台『If or・・・』へと進化していくが、村上はこの期間を「修行」とたとえ、「お客さんに鍛えてもらえたよね」としみじみ。1人舞台をやることで“MC力”が鍛えられ、現在の活躍につながったのだと感謝していた。

 丸山隆平は09年、安田章大は10年、そして大倉忠義は11年に26歳を迎えたが、11年は関ジャニ∞が初めて『24時間テレビ 愛は地球を救う』(日本テレビ系)のメインパーソナリティを務めるなど、グループとしても飛躍の年だったという。横山は「『24時間テレビ』、うれしかったわー。『やっとやー!』と思ったもん」と振り返り、丸山も「うれしかったね」と笑顔に。

 なお、メンバーがそれぞれ26歳を迎えた07〜11年の5年間は、関ジャニ∞の楽曲にも大きな変化があったという。04年のデビュー曲「浪花いろは節」から07年にリリースした6枚目のシングル「ズッコケ男道」まで、関ジャニ∞は全ての表題曲に「大阪」や「関西」を連想させるタイトルがついていたが、横山いわく、「全国で名を轟かせたいっていう思いが強かったから、『いつ大阪から離れますか?』って、ものすごいレコード会社と話してた」と、関西のワードを外したいと思っていたとか。

 さらに、07年に“ジャニーズ史上初”として行った『47都道府県ツアー』について、横山は「ぶっちゃけ、スケジュールが空いてたから」実現できたのだと告白。しかも、このツアー中に楽屋で『24時間テレビ』をメンバー全員で見ていたらしく、「タッキー&翼がたしかパーソナリティで、そのバックにKAT-TUNが出てたのよ」(横山)「そうそう。『クソー!』ってなったでしょ?」(安田)「俺らもテレビ出たいな、って言ってたの覚えてるのよ」(横山)「毎年俺たちじゃなくて、なんでやねん、なんでやねん言うて……」(村上)と、グループが活躍できなかった悔しい思いを続々と吐露。

 しかし横山は、「このライブのおかげで俺たち、ものすごく強なった」と実感しているそうで、最後には「なんか、いろんなことがあったな。ちょっとの酒あったら泣いてるぞ。微量の酒で泣けるわ、俺」と、関ジャニ∞の歴史に目を潤ませたのだった。

 この放送にネット上では、「ファンもシラフで泣けるやつだったね。関ジャニ∞、本当によく頑張ってきたよ!」「『クロニクルF』見てたけど、我慢できずに泣いてしまった」「悔しさをバネにして一つずつ夢を叶えていく関ジャニ∞。そんな彼らだからこそ、ずっと応援していることを再確認した」といった、熱いコメントが寄せられていた。

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最終更新:2020/10/06 16:43

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