【連載】堀江宏樹に聞く! 日本の“アウト”皇室史!!

天皇の“夜のお出かけ”事情に衝撃!? 「都市伝説」と化した大胆すぎる事件とは【日本のアウト皇室史】

2020/09/26 17:00
堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト)

皇族の「都市伝説」、その真相とは?

――つまり、夜=オフの時間という意味なんですね(笑)。でも、ふらっと外出するなんて、ずいぶん自由で大胆でいらっしゃいますね!

堀江 はい。そのことは少し後には皇族の間でも「都市伝説」と化していたようです。「ワインでふらっと事件」の真偽について、大正天皇の皇子である高松宮宣仁親王に、高松宮さまの甥にあたられる三笠宮寛仁親王が「直撃」するという記事がありました。ソースは昭和51(1976)年2月号の「文藝春秋」(文藝春秋)です。

 戦後の皇族である三笠宮さまにとって、皇族、それも皇太子殿下がワイン片手に思いつきで出かけられるような空気が昔、あったなんてことは、ウソみたい思われたのでしょう。

 具体的には「新春座談会 皇族団欒(だんらん)」という記事なのですが、参加者も、『銀のボンボニエール』の秩父宮勢津子妃、三笠宮寛仁親王、高松宮宣仁親王と喜久子妃と、皇族だらけで超豪華です(笑)。まぁ、現代では考えられないような面白い記事ですよね。

 さて、質問者の三笠宮寛仁親王は、当時30代に入ったばかり。この方は、戦後生まれです。当時の「若手皇族代表」として、叔父上にあたる高松宮さまに色々な質問をしておられます。大正天皇ワイン片手にふらっと伝説についてもその一つなんですが、高松宮さまは「それはありうる」、と。

 この時、面白いのが高松宮さまが「世間でもそういう付き合いを気軽にしていたから、皇室だって、天皇だってそういうことをしても普通だったんだろうね」というような回答をしていること。

――ええっ。でも警備などは?

堀江 そうなんですよね。でも高松宮さまにいわせると、戦前は警備自体「あんまりなかった」……すごい時代ですよね(笑)。逆に自由すぎて、少しコワイかもしれません。ただ、第二次世界大戦が近づくほどに皇族の警備は厳重になっていきました。大正天皇皇后で、当時は皇太后だった節子(さだこ)さまが「公務に支障が出る」と零される程度には厳しくなっていたようですが。

――今では、佳子さま眞子さまがプライヴェートでご外出というときも電車にSPもそれとなーく随行とか、黒田清子さんにもいまだにSPが……という話なのに。

堀江 そうなんですよ。宮家同士が「ギャーっと集まってにぎやかにやっていた」のもその頃はよくあった、と。ただ、高松宮さまの分析によると、その頃は年末年始の挨拶も直に会ってするのが普通だし、季節の変わり目の挨拶などもそうやっていたから、交流が密になって、自然に絆も濃くなっていた。でもそれは皇族だけでなく、一般家庭も同じだったのでは……と。

―――たしかに言われればそうかもしれません。お中元を持って相手のお家をご訪問、とかかつては一般的な光景だったようですし。いまはCMの中だけの世界になってますが。

堀江 そうですよねぇ。でも皇族の自由が制限されるようになったのは、警護面のほかにもう一つ大きなファクターがあって、それが一番はじめに申し上げた、経済面だというのです。

 戦前の皇室は、御料林(皇室財産であった森林)などをふくむ、皇室財産が保証されていて、それゆえに世界でも有数の富豪でした。それで非課税ですからね(笑)。でも、戦後になると、そういう財産源は失われ、広いお屋敷も財産税で没収されてしまいます。ただし、現在でも「皇族費(※非課税)」というのがあって、これがそれぞれの皇族に支給されることにはなってはいますが。

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