[連載]崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』

EXO・D.O.主演『スウィング・キッズ』、“タップダンス”で際立つ暗鬱な現実――「もしも」に込められたメッセージとは

2020/09/11 19:00
崔盛旭(チェ・ソンウク)

「どう生きるべきか」を問いかけるラストシーン

 『スウィング・キッズ』は、以上のような歴史に基づきつつ「タップダンス」や「ミュージカル」の要素を取り込むことで、戦争をめぐる記憶と、個人の夢や自由に対する希求を同時に喚起させている。たとえば、ロ・ギスやヤン・パンネら「スウィング・キッズ」のダンスには、戦争によって破壊されたそれぞれの夢への希望、抑圧された自由への熱望が込められている。

 誰もいないホールから飛び出して収容所を疾走しながら踊るギスと、村を走りながら踊るパンネの姿は、その先に待ち構えている収容所の鉄柵フェンスや、疲弊した村という壁にぶつかってしまうが、決して自由になることをあきらめたりはしない。だが、タップダンスを踊っている間にのみ許される夢と自由への希求は、それを求め続けるギスやパンネらの思いが強くなればなるほど、戦争という暗鬱な現実と克明なコントラストをなしている。

 以前のコラムでも説明したのだが、本作も近年の韓国映画で多く見られる、歴史的な出来事にフィクションを加味する「ファクション」ジャンルの作品だ。とりわけ、ラストシーンは「フィクション」としてのタップダンスがあまりにも軽快で生命力にあふれているために、「ファクト」としての残酷な虐殺をより一層際立たせている――今の私たちに「どう生きるべきか」を問いつつ。

 南と北、アメリカと中国。国も言葉も違う捕虜たちを、収容所に集めさせた現実は「戦争」だった。しかし、本作のように、もし本当に誰かによってダンスが、あるいは音楽が収容所内に響き渡り、多くの人がそれに共感したならば、歴史はどう変わったのだろうか? 少なくとも、実体の見えないイデオロギーに翻弄され、殺し合うことは防げたかもしれない。

 歴史に「もし」はないといわれるが、そう考えると「ファクション」としての本作のメッセージは明白だ。「スウィング・キッズ」のリーダーで、黒人米兵・ジャクソンのセリフを借りるまでもないが、「Fucking ideology!(くそ! イデオロギー)」を合言葉に、共存の可能性を模索することだろう。本作は、戦争がもたらした悲しい歴史を現在に甦らせ、タップダンスで癒やし、未来に向けたメッセージを伝えてくれている。

 最後に、どうしても触れておきたいことがある。原作がミュージカルであることは冒頭で述べたが、その原作を作るきっかけとなったのは、スイスの写真家ワーナー・ビショフが収容所の実態を映した1枚の写真であった。収容所内に立つ自由の女神像の前でフォークダンスを踊る、覆面をかぶった捕虜たちの姿。今見ても違和感の残る、異様な雰囲気の写真である。米軍の前で踊る彼らは「反共捕虜」には違いないのだが、顔がバレてしまうといずれ「親共捕虜」に殺されるかもしれないという恐怖から、不気味な仮面をかぶって踊っていたのだ。

 生き延びるために米軍側につくという生への欲望と、「死にたくない」という仮面の下の死への恐怖が背中合わせに見え隠れしているこの写真が見る者の胸に突き刺さるのは、その壮絶な切なさが今を生きる私たちにも伝わってくるからかもしれない。

※このコラムは『スウィング・キッズ』の公式パンフレットに掲載した原稿に大幅に加筆して書き直したものである。

■崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

最終更新:2022/11/01 11:57
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