[コラム]K-POPタテ・ヨコ・ナナメ斬り

EXOやTWICEなど続々! ONF「Sukhumvit Swimming」から繙くK-Pop「レゲエ」のこれまで 

2020/09/03 19:00
サイゾーウーマン編集部(@cyzowoman

5:音楽から思想が消え、下品な歌詞があふれたダンスホールレゲエ・後期

 80年代中盤になると、カシオトーンを使ったWayne Smithの「Under Me Sleng Teng」がジャマイカ初のデジタル録音を使った楽曲として大ヒットします。これまでは生演奏の録音が主流で、デジタル機材を使った「打ち込み」の手法はあまり使われてきませんでした。これを機に、ジャマイカではComputerized Revolution(デジタル革命)が起き、これがダンスホールレゲエの後期と位置付けられます。

■Wayne Smith – Under Me Sleng Teng (85)

■Uglyman – Computer (86)

 90年代に入ると打ち込みと下品な歌詞は当たり前のようにたくさんの楽曲がリリースされ、Versionに乗せてDeejay同士がステージ上で即興でトースティングし合うRub a Dub(ラバダブ)やClash(クラッシュ)が、頻繁に行われます。

■Shabba Ranks – Trailer Load a Girl (91)

■Supercat Vs. Ninjaman Clash (91)

 スラックネスが主流のジャマイカの音楽シーンで、92年頃からはコンシャス(真面目)なテーマで曲作りをしたGarnet Silkの登場によりラスタファリムーブメントが再加熱し始めます。Bob Marleyの再来とまで言われますが、94年に自宅での火事に巻き込まれ不慮の死を遂げます(一説では暗殺とも言われています)。

 Garnet Silkらの影響で方向転換をしたアーティストはたくさんおり、スラックネスで人気を博していたBuju Bantonは友人たちが殺人事件で殺害されたことやGarnet Silkが亡くなったことなどからラスタファリアニズムへ傾倒していき、楽曲やステージがスピリチュアルなものへと変化していきます。

■Garnet Silk – Hello Mama Africa (92)

Bob Marley - Live at the Record Plant '73 (CD)
思想が形骸化してメジャーになるって面白い現象
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