高橋ユキ【悪女の履歴書】

「結婚してブラジルに渡ろう」ウソと虚栄にまみれた女スパイと謎の男【藤沢つづら詰め殺人事件:後編】

2020/07/25 17:00
高橋ユキ(傍聴人・フリーライター)

「結婚してブラジルに渡ろう」叔父を自称する男の登場

 流れ流れて移り住んだ藤沢で、美津代が住む家を探しているなか、出会ったのが、逸子さんだった。美津代は逸子さんに出会ったとき「両親がブラジルに広大な土地を持っているので、渡航費用を稼ぐために藤沢市内でカフェーを経営している」と嘘をついて取り入った。ふたりで大島や日光を一緒に旅するようになり、間もなく“美津代の叔父”と称する太郎もその家に入り浸るようになる。ふたりは逸子さんの財産に狙いを定めて動き始めた。太郎は妻子がいるにもかかわらず独身と偽り、逸子さんに結婚を持ちかけたのだ。

 逸子さんから見れば、美津代は同居をきっかけに親密になった女友達。両親はブラジルで農業をやっているという。その叔父だという太郎から、繰り返し結婚を迫られ、徐々に逸子さんは気持ちが傾いてゆく。それにはふたりの手の込んだ工作も影響した。美津代らは、太郎の父親の名で「逸子さんとの結婚を承諾する」という内容の手紙を逸子さんの弟に書き送ったほか、晩餐会に招かれた太郎がその会場に向かう途中で逸子さんとのエンゲージリングを購入。会場では妻として逸子さんを皆に紹介するなどして、徹頭徹尾、逸子さんを騙し抜いた。

 さらには「ブラジルへは毎月20万仕送りしている」「結婚してブラジルに渡ろう」と甘言を使い、逸子さんをその気にさせ、3人でブラジルに行く計画を練り始める。渡航費用にするためと嘘をつき、美津代が逸子さんの株券を売り飛ばし20万円をだまし取ったのだ。逸子さんもここでようやく、自分が騙されていることに気づいた。怒った逸子さんは、美津代をなじり、太郎に結婚を迫り続ける。楽しげだった3人の関係はこじれにこじれ、口論が絶えないまま、年が明けた。そして……。

「55年の正月の終わり頃ですかねえ、急に隣がシーンとしちゃったんです。留守なら、いつも美津代が用心を頼みに来るのに、こなくなった。変だなあと思っていると10日ほど経って横山が一度やってきました。『ここの行方不明の人はどうなったか? 一人は知っているが、何かご存知か?』と聞いていました」(隣の住民)

 こうして行方不明となった逸子さんは、翌年の夏、自宅の庭に埋められたつづらの中から遺体で見つかった。直ちに全国に指名手配が行われた美津代は、逸子さん殺害後、名古屋や広島、松山や小田原など各地を転々とし、寸借詐欺や、病院の医療費を踏み倒して姿を消すなど犯罪を繰り返していた。広島で出会った男・栗原は美津代に惚れ込み、こうした事件の尻拭いを続けていたという。

 美津代が見つかったのは、遺体発見の4日後。東京・新宿百人町の旅館に栗原と投宿しているところを「前夜から手配の女に似ている客がある」と通報され、駆けつけた警察官に身柄を確保されたのだった。太郎も20万円の詐欺罪で逮捕されていた。1年半の逃避行のうちに肺結核が進行していた美津代は、取り調べが続く警察署において、毎夜のように喀血していたが、日中の刑事の追求には、頑として否認を続けていたという。

 さて、逸子さんの3度目の遺体捜索のきっかけとなったのは、その家に買い手がついたことだけではない。藤沢市内の土木工事労働者から「あの庭にゴミ捨ての穴を掘らされた」という証言があったことも大きい。逸子さん殺害に関わった者は、美津代と太郎だけではなさそうだ。遺体の入ったつづらを部屋の中で引きずった形跡もない。庭に深さ約180センチもの穴を掘り、つづらを地中深くに埋める作業を、女性一人で、近隣に気付かれずにやり遂げるのは難しい。状況的には美津代の単独犯と見るには無理があるが、関わった人物は謎のまま、すでに60年がたった。

 藤沢駅のそばで、こうした事件があったことすら、人々の記憶には残っていないことだろう。

(参考文献)
・「週刊読売」1956年8月5日号
・「週刊サンケイ」1956年8月5日号

高橋ユキ(傍聴人・フリーライター)

高橋ユキ(傍聴人・フリーライター)

傍聴人・フリーライター。2005年に傍聴仲間と「霞っ子クラブ」を結成(現在は解散)。著作に『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』(晶文社)『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)など。好きな食べ物は氷。

記事一覧

Twitter:@tk84yuki

最終更新:2020/07/26 14:09
B21 地球の歩き方 ブラジル ベネズエラ 2018〜2019
ホラ吹きはいつの時代ものさばるものね
アクセスランキング