「元極妻」芳子姐さんのつぶやき83

山口組と吉本興業の関係、「闇営業」問題――元ヤクザの妻が読む『吉本興業史』

2020/07/05 16:00
待田芳子(作家)
『吉本興業史』(竹中功著、KADOKAWA)

今は亡き某指定組織の三次団体幹部の妻だった、待田芳子姐さんが語る極妻の暮らし、ヤクザの実態――。

吉本興業の「謝罪マスター」の著書

 世の中、本当にいろんな、ヤクザに関する本が出ていますね(自分も出してますけど)。書評が続くのもどうかと思いましたが、やはり『吉本興業史』(竹中功著、KADOKAWA)は書かせていただくことにしました。核心的なところはスルーかなと思ってましたが(失礼)、わりとディープでしたね。まあ中田カウスさんについては、報道された事実とかを淡々と書かれている印象でしたが。

 著者は、現在は退職されていますが、吉本興業の伝説の広報マンで、所属芸人の謝罪会見の仕切りなど「謝罪マスター」としても知られる方なのだそうです。

初代吉本興業社長は、山口組三代目の葬儀に列席

「ええか、今日のいまこの時をもって、ヤクザとはいっさい関わってはならん!」

 主だった所属芸人さんたちを前に、吉本興業初代社長の林正之助さんが突然言いだしたのは、バブル前夜の1981年夏のこと。三代目山口組・田岡一雄組長が亡くなる7月23日の少し前だったそうです。

 本書などによると、正之助さんは創業者の吉本せいさんの弟さんで、十代の頃から姉夫婦の仕事を手伝っていました。兵庫県警の内部資料『広域暴力団山口組壊滅史』に「山口組準構成員」と書かれるほどヤクザとの関係は知られていましたが、91年に亡くなられた後も、吉本興業を大きくした「やり手の興行師」としてレジェンドになっていますね。

 ちなみに吉本興業のホームページによると、「吉本吉兵衛(通称・泰三)・せい夫婦が、天満天神近くの寄席『第二文芸館』で、寄席経営の第一歩を踏み出」したのは1912年。初代山口組・山口春吉親分が神戸に山口組の看板を掲げたのは1915年ですから、まったく同じ時代を歩んでいます。

 この正之助さんは二代目山口組・山口登組長とも親しかったそうで、そんな人から急に「ヤクザと付き合うな」と言われても、周囲は困惑しますよねえ。

 そもそも昭和までは、ヤクザの親分が芸人さんをひいきにするのは当たり前で、飲食の面倒はもちろん、用心棒的なこともしていました。うちの亡きオットも芸人さんをスナックなんかで見かけると、お会計をしてあげたりしてましたよ。あと、うちはやってません(と思いたい)が、シャブ屋のパシリ(使い走り、配達係)にしてお小遣いをあげることも珍しくありませんでした。

 ていうか昔の芸人さんたちは、たいていは大酒飲みで女(男)癖も悪く、コンプライアンス的に問題がある人ばかりでしたが、それでも親分の言うことは聞くので、興行師も助かっていたと思います。それに、正之助さん本人は、田岡組長が亡くなった時に葬儀に参列していて、週刊誌に撮られてますしね。記事を見せてきたカウスさんに「あれは双子の弟や」とシレッと釈明するあたり、さすが「吉本の人」です。

 「ヤクザと付き合うな」と言いだしたのは、三代目亡き後の「いろいろ」を考えてのことだったと思います。

現在の社長への愛ある批判も

 本書は、少し前の所属芸人さんの「闇営業」問題についてもページが割かれています。記者会見した現在の社長さんに対する批判もあって、ナルホドと思いました。ラクなお商売はないわけですが、本や服を作る会社とは違うこともよくわかります。約6,000人もの芸人さんを抱える大所帯の経営幹部は「守り」に入ってしまって、もはやファミリーとは呼べないということですね。ヤクザの組織も、そんな感じです。

 それにしても、こういう本って「誰得」なんでしょうね? 今さら「吉本にヤクザが関わってたなんて、ショックゥ」なんて方はいらっしゃらないでしょうし。「オレのこと書いてねえだろうな」って慌てて買っちゃう“関係者”も少しはいるかもですが(笑)、まあ「薄々わかってはいたけど、詳しく知りたい」方々向けなのでしょうか。いずれにしろ、著者さんの古巣への「愛」はよくわかる労作といえます。

待田芳子(作家)

待田芳子(作家)

今は亡き某指定組織の三次団体幹部の妻。夫とは死別。本名・出身地もろもろ非公開。自他共に認める癒やし系。著書に『極姐2.0 旦那の真珠は痛いだけ』(徳間書店)がある。

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最終更新:2020/07/05 16:00
吉本興業史
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