[連載]崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』

村上春樹原作・韓国映画『バーニング 劇場版』、『パラサイト』につながる“ヒエラルキー”と“分断”の闇

2020/06/12 19:00
崔盛旭(チェ・ソンウク)

『バーニング 劇場版』春樹作品を必要とした、「軍事政権後」の韓国の世相

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 1980年代末に、最後の軍事政権である盧泰愚(ノ・テウ)政権から民主化の「約束」を勝ち取った韓国では、90年代初頭、軍事政権という目の前の「敵」が消え、学生運動は壮絶な宴の後の虚脱感、喪失感に包まれていった。そんな中で登場したのが、80年代の「闘いの世代」とは一線を画す、90年代の「新世代」と呼ばれる若者たちである。この世代の一番の特徴は「イデオロギーより私が大事」という個人的志向が強いことであった。80年代、国家との闘いに身を投じてきた世代が「個としての自分」を省察する余裕を持たなかったのに対し、90年代の新世代にとっては、内面の葛藤や人間関係などの私的領域が生活の中心となった。

 こうして80年代の闘いの世代は「喪失感」を、90年代の新世代は「個としての自分」と向き合っていたところに、『喪失の時代』が登場したのである。韓国での“春樹ブーム”の背景には、「この喪失の時代をどう生きるべきか」を提示してくれる作家の存在を必要としていた時代の変化と、それに伴う新たな価値観の模索があったといえるだろう。

 このように、“春樹ブーム”といっても韓国には韓国ならではの文脈があったわけなのだが、ではイ・チャンドン監督は村上の原作を、どのように韓国の文脈に置き換えて映画化したのだろうか? まずはあらすじから見てみよう。

≪物語≫
 作家を夢見るジョンス(ユ・アイン)は、宅配のアルバイトの途中で幼なじみの女性ヘミ(チョン・ジョンソ)と偶然再会する。まもなくヘミは、旅行中の猫の世話をジョンスに頼んでアフリカへと旅立つ。帰国すると、現地で出会った男性ベン(スティーブン・ユァン)をジョンスに紹介する。金持ちだが素性のわからないベンと付き合う中で、ジョンスはベンからビニールハウスを焼く趣味があること、そして近日中にジョンスの家の近くのビニールハウスを焼くつもりであることを聞く。近所のビニールハウスを調べるジョンスは、同じ頃、突然姿を消したヘミを探すうちに、ベンに対する疑念を募らせていく。

 人物構成や、納屋(ビニールハウス)を焼くというモチーフは生かしつつ、サスペンス的な要素をふんだんに取り入れて、原作にはない「謎(犯人)の解明」という面白さも追求した本作だが、それだけで終わらせないのがイ・チャンドンのすごさである。監督自身が言及しているように、現在の韓国の若者たちが抱える無力感や怒りが、本作の物語展開に大きく関わっているのだ。では、「韓国の若者たちが抱える現実」とは一体どのようなものだろうか? 映画に描かれている2つのメタファーからそれを探ってみよう。

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