高橋ユキ【悪女の履歴書】

風俗スカウトマンで「有名大学の真面目」な彼との同棲――人気ヘルス嬢に芽生えた殺意【世田谷・学習院大学生刺殺事件】

2020/05/30 17:00
高橋ユキ(傍聴人・フリーライター)

山梨の典子を口説き新宿の風俗店に落とす

「福岡は女の子の面倒見が抜群によかった。愚痴を聞いたり、プライベートな相談にものってやってました。電話がかかってきたら、昼夜関係なく出かけて行って、世話を焼くんです」(スカウト仲間)

「並のスカウトマンが月に5人だとしたら、彼は月に10人は女の子を店に連れてきた」(キャバクラ店店長)

 昼間は大学生、夜は六本木トップクラスのスカウトマンとして日々を謳歌していた福岡さんは、事件前年の暮れに、スカウト仲間から「山梨にいい娘がいる」と聞く。それが典子だった。

 典子は山梨県F市に生まれたが、幼いころに両親が別居。母親がスナックで生計を立てていたが、そのうち内縁の夫となる男性と同棲を始め、姉との4人暮らしとなる。高校を卒業後に東京の美容専門学校に進学。卒業してしばらくは、都内の美容院で見習いとして勤め、その後帰郷した。

 地元でも美容師として働いていたが、実家の居心地はよくなかった。血のつながった母と姉はともかく、義父とはうまく会話が続かない。家を出ることを考え始めた。一方で「結婚願望が強くて、男にのめり込むタイプ」(友人の証言)である典子は、地元で中学時代から親しい男友達がおり、恋愛経験が豊富だったものの、失恋も多かった。家庭の居心地の悪さや失恋の痛手を癒やすために、ときどき東京に出てきては、遊んでいたという。そんなとき、スカウトマンに声をかけられたのだ。

 スカウト仲間から典子の話を聞いた福岡さんは乗り気になった。典子が上京してきたときに会い、東京の店に勤めるよう、熱心に口説き落としたのである。そして東京で勤めることになった典子と付き合い始めた。

 もっとも、典子はキャバクラではなく新宿の風俗店に入店することになるのだが、それは典子の意志だと生前の福岡さんは語っている一方で、当の福岡さんがそう仕向けたといううわさもある。

 源氏名「クミ」として、いわゆる“性感ヘルス”と呼ばれる形態の店で働き始めた典子は店が借り上げていた新宿の寮に引っ越した。ここに福岡さんも転がり込み、同棲が始まる。

飛田で生きる 遊郭経営10年、現在、スカウトマンの告白
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