[連載]崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』

韓国映画『タクシー運転手』異例の大ヒットがあぶり出した、「光州事件」めぐる国民の怒りと後悔

2020/05/15 19:00
崔盛旭

光州をスケープゴートに仕立てた“差別感情”

 映画ではピーターが20日に光州に入り、命がけで撮影したフィルムを持って21日に脱出するが、光州ではその後も全羅南道庁を拠点に、市民軍が戒厳軍に対して応戦し続けた。膠着状態を打開しようとした戒厳軍は、大勢の兵力に加えて戦車をも光州に送り込み、ついに27日、道庁で最後まで抵抗した市民軍はほとんどが射殺されて、光州事件は「北朝鮮に煽られたアカによる反乱」として終結した。この日に道庁ではどれだけの市民軍が殺害されたかも正確にはなっていないし、光州事件全体を通じての犠牲者数も不明のままだ。ピーター(実際はユルゲン・ヒンツペーター)が持ち出したフィルムによって事件の映像が報道され、韓国は国際社会から批判されるものの、言論統制によって当時国民が真実に触れることはなかった。

 韓国ではその後も長きにわたって、徹底して事件の真相を捏造する新軍部に対し、真相を究明しようとする闘いが続いた。そしてついに軍事政権の終焉とともに発足した金泳三(キム・ヨンサム)政権下の95年、光州事件を検証するための「5・18特別法」が成立した。光州事件は「5・18民主化運動」と正式に名付けられ、「アカによる反乱」などではなく「戒厳軍の鎮圧に対して、民主主義のために光州の学生・市民らが命をかけて立ち向かった歴史的事件」と定義されて、5月18日は光州民主化運動の国家指定記念日となった。全斗煥と盧泰愚は虐殺の罪を問われてそれぞれ死刑・懲役刑を言い渡され(後に特別赦免)、軍による虐殺を司法が認めたことで、光州の犠牲は無駄ではなかったことが証明された。2011年には、事件の関連史料がユネスコの世界記憶遺産に登録され、犠牲者・遺族への補償や行方不明者の捜索は今もなお続けられている。

 以上が事件の全体像だが、そもそも当時各地でデモが起こっていたにもかかわらず、なぜ光州だけがこのような事態に陥ったのだろうか。その背景には、朴正煕政権時代に作られた根強い「地域差別」が存在している。1963年以来続いていた軍事独裁政権だったが、70年代前半、彼には手ごわい政敵がいた。金大中(キム・デジュン)である。軍事独裁打倒の先頭に立ち、国民からの熱い支持を受けていた金に対抗するため、朴は金をアカに仕立て上げ、金の出身地であった全羅道(光州を含む地方)の連中もアカだという間違った認識を広めていった。「全羅道出身者とは付き合うな」という差別意識は国全体に浸透し、テレビドラマに登場する汚れ役は、多くが全羅道の方言をしゃべっていたものだ。全もまたこの地域差別を利用し、アカたちの反乱を制圧した自分こそが大統領にふさわしいのだと見せつけようとした。光州事件は、政府による統制だけではなく、光州なら起こってもおかしくないという、外側の人々の「やっぱりね!」という誤った認識・偏見が、光州をスケープゴートに仕立ててしまったといえる。

 最後に、映画にまつわる後日談を紹介して終わりにしよう。ピーターのモデルとなったドイツ人記者ヒンツペーター氏は光州事件を世界に知らしめたことを評価され、2003年に韓国の権威ある言論賞を受賞、その時のスピーチでタクシー運転手キム・サボク氏に言及したことが映画製作のきっかけになったことはよく知られている。本作はほとんどが実話に基づいているが、ピーターに偽名を告げ、彼の受賞を街角でそっと見守るマンソプというラストは、作り手の温かな想像力によるものであり、映画の最後では再会がかなわないままヒンツペーター氏が他界した事実が語られていた。

 ところが、映画の公開後にキム・サボク氏の息子と名乗る人物が現れたことによって、サボク氏の消息が明らかになったのだ。息子によると、実際のサボク氏はマンソプのような庶民派運転手ではなく、外国人相手の観光ガイドを専門にしていた「ホテルタクシー」の経営者であり、早くから政治活動に参加、光州にも強い使命感を持って向かった人であることがわかった。そして、光州事件から4年後の84年、すでにがんで亡くなっていたことも。ヒンツペーター氏が必死でサボク氏を探していた時、彼はもうこの世に存在していなかったのだ。

 この報道を聞いて、私は少しばかりがっかりしてしまった。マンソプのようなキャラクターを期待していたのに、実はそんな「エラい」人だったのかと。だがそれと同時に、映画の力を実感したのも事実である。タクシー運転手の正体がわからなかったことで、ソン・ガンホ演じるマンソプが誕生し、彼だったからこそ多くの観客が映画に惹きつけられたのだから。本作が韓国国内に限らず、日本をはじめ外国でもヒットした要因もそこにあるに違いない。本作はこれからも末長く愛されてしかるべき映画だと思う。

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崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

最終更新:2020/05/15 19:00
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歴史に抱く国民感情というものはバカにできない

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