[連載]崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』

韓国映画『国家が破産する日』が描く、20年前の経済危機と壊れた日常――終わらない格差と不信

2020/04/24 19:00
崔盛旭

『国家が破産する日』加盟から1年で、奈落の底に……

(c)2018 ZIP CINEMA, CJ ENM CORPORATION, ALL RIGHTS RESERVED

 こうして企業が次々と倒産し、手形が不渡りになって国中が混乱に陥る中で、政府はIMFに助けを求めたのだが、末期の金泳三政権など眼中にないIMFは、大統領選挙の候補者たちに「当選した場合はIMFの指示に従う」という誓約書を書かせたのち、韓国の要請に応じた。そしてIMFの指導による経済の構造改革の下、財政が悪化した企業の破産と、そこに道連れのように巻き込まれる下請け業者の破産の連鎖の結果、街には失業者があふれ、自殺者が急増、「IMF自殺」という悲しい流行語まで生まれた。このような悲惨な状況は、映画の終盤で端的に描かれているが、OECDへの加盟で先進国の一員になったという幻想に酔っていた韓国は、加盟からちょうど1年後、奈落の底に落ちてしまったのだ。

 さて、その後の韓国はどうなっただろうか? 最悪の状態にあった韓国の新しい大統領になったのは金大中(キム・デジュン)だった。かつて軍事政権が目の敵にした進歩派の代表的存在であった金大中は、政経癒着の悪循環を断ち切る一環として、現代(ヒュンダイ)や大宇(テウ)といった財閥の、子会社への分離・独立を進め、リストラの手続きを簡素化する指示を出した。また国民の間では「金(きん)集め運動」が起こった。国民が政府に金(きん)を差し出し、政府はそれを元手にドルを買って、IMFからの借金を少しでも返そうとしたのだ。この時に集まった金は22億ドル分にも上りIMFを驚かせたが、韓国ではこの運動を「第2国債報償運動」と呼んだ。1907年、経済的優位性を背景に植民地政策を露骨化していた日本に対して、借金を返そうと起こった「国債報償運動」にちなんだのである。

 国を挙げての努力が功を奏し、2001年、韓国は4年ぶりにIMFの管理下から離れることができた。だがその代償として、労働者の解雇がたやすくなり、非正規雇用が増えて雇用が不安定になったり、消費促進の一環としてクレジットカードの審査を緩和し乱発したことで個人の借金が増加し、クレジットカード自殺が続発した。これらは現在でもなお韓国が抱える社会問題となっている。以上が、IMF通貨危機と呼ばれる韓国現代史の大枠である。

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 映画に話を戻そう。近年の韓国映画では、「実話(fact)」に「虚構(fiction)」を加味した造語である「ファクション」というジャンルが目立ってきている。もちろんその根底には、草創期より現実を反映するリアリズムを重視してきた韓国映画の特徴があるわけだが、それ以上に、韓国の近現代史がいかに理不尽な矛盾とともにあり、いまだ解決されない多くの問題を抱えているかを物語っているとも言える。このジャンルは、同時代には語れなかった歴史の実態を民主化が進んだ今だからこそ振り返ることができると同時に、歴史的な事件にフィクションを加えて再構成することで、“あり得たかもしれない”現実を歴史の教訓として伝える効果も持ち合わせている。過去にこのコラムで取り上げた『弁護人』『金子文子と朴烈』『国際市場で逢いましょう』『レッド・ファミリー』『トガニ』などは、「ファクション」と呼べる作品だ。

 ある日、突然目の前に迫ってきた国家破産の危機とIMFによる救済という実話をもとに、歴史の現場に居合わせた「対策チーム」と、危機を利用して成功した「投機師」、逆に大きな犠牲を払った「町工場の社長」という全く異なる立場の人間を描いた本作もまた「ファクション」である。投機師と町工場の社長については、実際に危機によって大きな影響を被った代表的な立場の存在であり、両極端な彼らを描くことで映画がより立体的になっていると言えよう。だがこの映画における最もフィクショナルな点は、リーダー役のキム・ヘスの凛々しい姿が印象深い、対策チームの存在である。

 制作側は、IMF危機に際して政府内に「非公開対策チーム」があったという新聞記事から物語のヒントを得たと述べているが、当時の関係者による証言から、実際はそんなチームは存在しなかったことが明らかになった。当時の政府は、破産を防ぐための奮闘などしてはおらず、大統領選挙を目前に控えて戦々恐々とするのみだったのだ。映画では、平気で民衆を切り捨て自らの保身しか考えない政権中枢の男性陣や、アメリカをバックに傲慢な態度で一方的な経済介入を進めようとするIMFの担当者に対して、一般庶民の生活が破綻するとして一人立ち向かっていく女性チーム長が非常にかっこよく描かれているが、そこは大いなるフィクションだったのだ。「立ち向かった人がいてほしかった」という願望が反映されたのだろう(だが、正直、対策チームが本当にあったとしても、IMFに立ち向かうためのチームではなく、IMFに従うための対策を講じたチームだったのだろうと思う)。

 そんなシヒョンを中心とするチームが、IMFの介入を回避するための最後の手段として、交渉内容を暴露するために緊急記者会見を開く場面がある。その場では多くの記者が集まり事態は好転するかに思えたが、翌日の新聞では会見の内容に一言も触れられておらず、政府からの圧力が想像できた。当時の報道を見ると、IMFによる救済が明らかになってからは「朝鮮戦争以来の国難」と、危機を防げなかった金泳三政権を叩く内容が目立つものの、それ以前はメディアも「韓国経済、心配無用」「危機は過剰反応」といった呑気な姿勢を見せていたので、ある意味ではメディアも共犯関係だったと考えられる。

 さて、最後に私自身の経験についても触れておきたい。なぜなら、私もまたIMF危機によって人生を大きく変えられた人間の一人であり、映画には登場しないが、私のような「一介のサラリーマン」が当時どのような目に遭ったのかも、一つの重要な証言だと思うからだ。

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