[連載]崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』

韓国映画『ミッドナイト・ランナー』での「朝鮮族」の描かれ方と、徹底的「偏見」の背景とは

2020/03/27 19:00
崔盛旭

近年の韓国映画に見られる、悪しき「朝鮮族」の流行

 韓国の警察大学とは、警察組織の初級幹部を育成するための国立大学で、卒業後には日本の警部補にあたる「警衛」として任用される。学費無料で警察公務員としての将来が保証されるため、競争率の非常に高い難関大学だ。日本の防衛大学のイメージに近いかもしれない。

 監督が「二人の青年の友情と熱い正義感、警察幹部候補としての使命感を通して、就職や経済的な面で苦しんでいる昨今の韓国の若者たちに勇気と希望を与えたかった」と語るように、犯罪捜査と青春をうまく掛け合わせ、男性コンビが大活躍するいわゆる「バディもの」である本作は、スカッとさせるアクションや笑いと涙を誘う物語が好評となり、観客動員560万人を超えるヒット作となった。『パラサイト 半地下の家族』でのキム家・長男の友達役の記憶も新しいパク・ソジュンと、ドラマ『ミセン』『麗』などに出演し、日本でも人気の高いカン・ハヌルという若手俳優の共演や、警察大学という珍しい舞台設定もヒットに一役買ったといえるだろう。

 だがその一方で、劇中に描かれている犯罪グループの描き方をめぐっては、上映禁止を求めて訴訟にまで発展するトラブルが起こった。実は日本語字幕には訳されていないため、日本の観客にはピンとこないと思うのだが、犯罪グループのメンバーが「凶悪な犯罪を起こす朝鮮族」であり、「彼らが暮らすソウルの下町、デリムドンは犯罪の温床」という設定が、差別的で誤解や悪いイメージを与えかねないとして、在韓朝鮮族団体が猛反発したのだ。訴えは退けられ、上映が中止されることはなかったものの、韓国の若者に勇気と希望を与えたいという若手監督の素朴な願いは、皮肉にも差別的でステレオタイプ化されたイメージを朝鮮族にもたらしてしまったのである。

 私自身、男二人が友情を育んでいく様子を描く前半では、どこか照れくささを覚えながらほほ笑ましく見ていたのだが、犯人グループを追いかけて乗り込んだタクシーの運転手の「ここは朝鮮族の街だ。犯罪が頻発して真っ昼間でも怖くて出歩けない。治安も悪く、警察すら入らない」というセリフを聞いて、またかとあきれてしまった。デリムドンがチャイナタウンであることは事実だが、日本の横浜・中華街と同様、むしろ観光名所としていつもにぎわっている。映画の後半になると、完全に「主人公=正義」と「朝鮮族=悪」という二項対立の構図になり、独特な訛りのある朝鮮族の韓国語が過剰に耳に残る(韓国語がわからなくても、耳を澄ましてみるとイントネーションの違いがわかると思う)。

 だが実は、朝鮮族のこのような描写は本作が初めてではない。『哀しき獣』(10)、『新しき世界』(13)、『コインロッカーの女』(15)、そして『犯罪都市』(17)など、近年の韓国映画には「朝鮮族犯罪映画」ともいえる流れが生じており、これらの映画を通して作り上げられた悪いイメージがそのまま「朝鮮族嫌悪」となって朝鮮族全体に向けられてきたのだ。本作も含めて上に挙げた映画は、作品としての出来や評価とは別に、朝鮮族の表象において強い影響力を持っているので、これでは朝鮮族団体が怒るのも当然だろう。

 映画の影響も大きかったとはいえ、「우리 민족(我が民族)」という言い回しが大好きなはずの韓国人は、なぜ他民族ではない「朝鮮族」を嫌悪するようになってしまったのだろうか? 歴史的な話になってしまうが、韓国と朝鮮族をめぐる「ディアスポラから再会まで」の経緯を、ここで簡単に紹介しよう。

ミッドナイト・ランナー デラックス版
ここにも日韓併合の弊害が……
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