【連載】堀江宏樹に聞く! 日本の“アウト”皇室史!!

「殺害疑惑」「僧侶とセックス」天皇と皇太后をクビになったヤバすぎる親子【日本のアウト皇室史】

2019/11/02 17:00
堀江宏樹

  
 皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な天皇家のエピソードを教えてもらいます!

殺害疑惑で天皇をクビ……ドSすぎる狂王の悲しき人生

――10月22日、「即位の礼」に行われましたね。前回のお話に出てきた「高御座」が、テレビに映し出されるたびに、花山天皇と女官が“セックス”したという強烈なエピソードを思い出してしまいましたが、堀江さんはどのようにご覧になりましたか。

堀江宏樹(以下、堀江) 前日夜から降り続いていた雨が、儀式がはじまったらやみ、虹まで出ましたよね。新帝陛下のカリスマに敬服する思いです。儀式当日まで心配されていた台風20号もいつの間にか温帯低気圧に変わったし、さすがは「日の御子」……。天皇家の血脈、そしてパワーは新帝陛下にも確実に受け継がれているなぁと感じた人も多いのでは。天皇を支えるパワーの源は、ミステリアスな存在に秘められた“カリスマ性”であり、それは理屈とか科学とかでは説明できない“スピリチュアル”な力ですね。

――カリスマ性に問題があった場合、退位につながることはあるのしょうか?

堀江 「狂王退位」という強烈な逸話が残っている、陽成天皇(第57代)のお話は有名。『小倉百人一首』に歌が選ばれる優秀な歌人としての一面と、驚くほど粗野で、不安定な面を兼ね備えた方でした。ちなみに、百人一首をテーマにしたコミックエッセイ・『超訳百人一首 うた恋い。』(メディアファクトリー)では、悪ぶった影のあるイケメンとして描かれているものの、実際は奇行がひどく、裸にした商人を塔に登らせた挙げ句、矢で射殺したり、縄で縛った女官を池に放り込んで溺死させたこともあったそうです。

―――ドSというか、まさに狂王! 「こんな天皇は嫌だ」という大喜利の答えにありそうな奇行の数々……。

堀江 陽成天皇は、生後3カ月で皇太子となり、数え年9歳の若さで天皇に即位します。陽成天皇の母君は、権勢を誇っていた藤原家の“お嬢様”・藤原高子(ふじわらのたかいこ)。母親の藤原家の手厚いサポートあっての幼年即位でしたが、彼の内面は荒んでいたようです。

 先ほどお話したように、暴力的なエピソードをお持ちの陽成天皇ですが、退位させられた理由は、なんと「殺人」。陽成天皇が15歳の時、彼の乳兄弟(ちきょうだい)が、宮中で撲殺されました。乳兄弟とは、陽成天皇の乳母の子。つまり、彼にとっては兄弟のように育てられた存在です。その乳兄弟を殴殺したという嫌疑を、事件現場の状況証拠からかけられたのでした。しかし、周囲からの“忖度”が働き、「犯人捜しはしないけれど……陽成天皇、あなたにはとりあえず退位していただく」ということになりました。つまり「天皇にふさわしくないからクビ」です。その後、亡くなるまでの65年間を、陽成上皇として過ごすのですが、裏を返せば人生の残りの膨大な時間を、無為無策のまま生きていかざるを得なかったのです。

 奇人だった一方で、彼は相当な文化人だったとも言われます。彼の代表歌といえば、『百人一首』にも選ばれた「筑波嶺の 峰より落つる みなの川 恋ぞ積もりて 淵となりぬる」という有名な歌。「筑波山の峰から落ちる水が、たまりたまって川になるように、あなたへの恋心は、積もり積もって淵のように深くなる」といったくらいに意訳しておきましょうか。でも、彼の歌はこの一首が残されているだけで、理由はわからないものの、それ以外は何もありません。

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