ロングインタビュー第4回

【幸福の科学学園1期生語る4】青春をエル・カンターレに捧げた私が、いま教団について思うこと(追記アリ)

2019/08/20 16:00
サイゾーウーマン編集部(@cyzowoman

青春はエル・カンターレに捧げてしまった

――元信者として、今は幸福の科学をどのように、とらえていらっしゃいますか?

A 私は、幸福の科学信者は、「幸福の科学の教えを知っている人は選ばれた人間」という選民思想を持っていると思います。信者ではない一般の人を「選ばれなかったかわいそうな人たち」ととらえ、だから「教えを伝導してあげましょう」と、上から目線のスタンスになるというか……。それはどうなんだろうと感じることはありますね。あと、公式サイトに、正心法語を読むことで「末期がんが完治した」「エイズが回復した」といった衝撃的な体験談がたくさん書かれているので、それは問題かなとも思います。また私自身、「家が裕福ではない」「親がちょっとおかしい」という2世信者の生きづらさは、身をもって実感しているところです。

 ただ実際のところ、信者ではない“一般の人の視点”で幸福の科学を見た時、家族、親戚、友⼈や同僚が信者だと⼤変なこともありますが、「まったくの無関係」であれば、強引な勧誘を受けたり、危害を加えられたりといったことはないので、無害なのではないかとも思いますね。
【幸福の科学広報局コメント10】

――脱会後の生活の中で、幸福の科学の教えなどが影響していると感じたことはありましたか?

A 幸福の科学の信者はみんなすごく優しくて、幼い頃から「選ばれた子」としてすごく大切にしてくれていたので、私自身も「選ばれた人間として、きっと他人とは違う優秀なところがあるはず」「私は人々を救うために生まれてきたんだ」って、ずっと信じて生きてきました。その影響からか、脱会後も選民思想が抜けず、「相手を見下していたな」「偉そうに言っちゃったな」と、後悔したことが何度もあります。また、幸福の科学の外の世界を、誰も教えてくれなかったので、社会に出てからは自力でイチから学ばなければなりませんでした。それはそれで楽しい面があったものの、結局15年以上を幸福の科学信者として過ごしてきて、その教えがしみついているので、世間とのギャップを感じ「もういいや、死のう」と思ったことも、正直ありました。今は「私の青春はエル・カンターレに捧げちゃったんだな」と冷静に自分のことを見ている……そんな感じかもしれません。

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(追記)

【幸福の科学広報局コメント10】
本記事では、「幸福の科学信者には、『幸福の科学の教えを知っている人は選ばれた人間』という選民思想を持っている」としていますが、当教団にそのような教義はありません。当教団は「生まれによってではなく、その人の行為によって判断される」と考えており、どの人の人生にもチャンスは必ず平等にあるので、謙虚な気持ちで努力を続けることを大切にしています。また、地球的に一つにまとまることができる教えを広げることによって、地球人としての共通のベースをつくり、宗教・民族の違いを乗り越えることが、当教団の使命です。

◎編集部からの追加質問
大川隆法氏の著書に『選ばれし人となるためには』というものがあります。また幸福の科学学園応援歌は「選ばれし者たちよ」というタイトルです。このように「選ばれし」という言葉が使われているのを見るに「幸福の科学の教えを知っている人は選ばれた人間」というのは、教義に外れていないと思うのですがいかがでしょう。

◎幸福の科学広報局からの回答
選民思想とは、主に旧約聖書などに基づいた排他的な民族優越思想を指します。幸福の科学には、民族、人種、宗教、肌の色によって民族間に優先順位をつけたり、排斥する考えはありません。戦争や紛争の原因にもなっている、こうした宗教・民族の違いを乗り越えることが、当教団の使命です。

 

最終更新:2019/09/18 19:12
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