『ブスの自信の持ち方』著者インタビュー(後編)

「ブスだから自信がない」という自由もある――山崎ナオコーラ氏が語る、容姿と自信の関係性

2019/08/13 17:00
安楽由紀子
ブスの自信の持ち方』(誠文堂新光社)

 「容姿というものは、人間の価値を決定するほどのものではない」「悪口の文脈ではなく、自虐の文脈でもなく、素敵な文脈の中で、『美人』『ブス』と書いていきたい。もっと軽く、『美人』『ブス』と言ったり書いたりできる社会を作りたい、と私としては思うのだ」と語る山崎ナオコーラ氏のエッセイ『ブスの自信の持ち方』(誠文堂新光社)。しかし、現実には「ブス」と言われただけで、自信を失い、全てがうまく行かないと思ってしまうこともがあるかもしれない。そんな人たちに、著書で山崎氏は、「『あなたの自信のなさはどこから来ているのですか?』と尋ねてみたいのだ。誰かから押しつけられていないですか?」と問いかける。著書に何度も登場する「自信」という言葉の真意を山崎氏に聞いた。

(前回:「ブスVS美人」は“男”がつくった構図――山崎ナオコーラ氏が語る、美醜問題の元凶とは?

――本書のタイトルは『ブスの自信の持ち方』ですが、本文には「『自信を持ちたいか持ちたくないかは、自分で決めていい』という人間の基本はあるはずだ」「『自信を持たない自由はある』と私は思う」と書かれています。最近は「自己肯定力」という言葉がさかんに使われ、「容姿や能力に関係なく自信は持った方がいい」という風潮がある中、「自信のあるなしは自分が決める」という言葉は新鮮でした。

山崎ナオコーラ氏(以下、山崎) 以前は、自立して自信を持つことが大事だと思って生きていました。自分でお金を稼いで、自分でなんでも決めて、自分をコントロールすることがいいことだと。でも、だんだんと「人に頼ることも大事なのかも」という気持ちに変わってきた。病気で仕事をするのが難しい人もいるわけだし、人に支えてもらったり、応援してもらったりすることで生きやすくなる人もいるはずです。自立して自信を持っている方が生きやすいですが、「人に頼る生き方も、美しい生き方だ」という価値観を社会に浸透させた方が、多くの人が生きやすくなるのではないでしょうか。それに、世の中には自信が100%ある人、または0%の人、どちらかしかいないわけではなく、20%あるとか70%あるとか、同じ人でも、日によって、シーンによって違うものなので、「ある」「ない」と言い切れるものではないと思うんです。

男と女の違いもなだらかなものだと思う

――自信は「ある」「ない」で語れないという考えに至ったのは、どういうきっかけですか。

山崎 この本にも書きましたが、大学時代、ある日突然、顔中にニキビが吹き出たことがあって、ニキビが薄くなるまでの1~2週間、大学を休んでしまったんです。今思えばニキビなんか気にせず大学に行っていればよかったんですけど、当時は「外に出るのがものすごく怖い」と思ってしまい、「これまで自分の顔に自信があると思っていなかったけど、自信がゼロではなかったんだな。今、『自信がなくて、人と会えない。何もやる気がしない』と感じているということは、ニキビがなかったときは、少しは自信があったということなんだ」と感じ、自信は0か100ではなく、“なだらか”なものなんだと、その時に気付きました。

――多くのことが二元論で語られがちの世の中ですが、本文にある「『努力をしている人』か『努力不足の人』か、というのも、完璧な努力をしている人など世界中にひとりもいないし、一切の生きる努力を放棄している人もひとりもいないので、ぼんやりとしか分けられない」という内容など、山崎さんは“曖昧”な部分を認めている点が印象的です。

山崎 二元論の方がわかりやすいですが、きっぱり分けられないことの方が多いはず。性別にしても、男性と女性はなだらかな違いだと思います。私は子どもの頃から女の子扱いされることがかなり苦手で、出席簿が男の子と女の子に分かれていることや、申込書に性別を書き込むことも嫌だと感じていました。私がこういう思考になったのは、いろいろ考えた結果というより、生まれつきのような気がします。成長していくうちに同性愛者として悩みを抱える人、“女性”という性を受け入れながらも社会の扱いには我慢できないという人の存在を知りました。性別ではない、ほかの差別で悩む人たちも多くいます。自分と同じような悩みはあまり見かけませんでしたが、さまざまな在り方や考え方があるんだな、と知っただけでも楽になったんです。その頃は「多様性」という言葉では認識していませんでしたが、「多様性」がある寛容な社会になると、多くの人が生きやすいはずですよね。

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