ODや病気、交通事故に射殺……悲劇の死を遂げた人気ラッパーを振り返る!

2019/08/12 18:00
堀川樹里

ビッグ・パン

 1971年11月10日、ニューヨークのブロンクスにクリストファー・リー・リオスとして誕生。プエルトリコ系の両親は薬物依存症で、父親はビッグの幼少期に死亡。嫌気が差した彼は15歳で家出し、ホームレス生活を送るようになった。そんな過酷な状況の中で高校時代の彼女と結婚。子どもが次々と生まれるが、生活は厳しく、過食でストレスを発散させるようになり、18歳から21歳までの3年間で81kgから181kgまでに体重が激増した。

 趣味でラップやブレイクダンスをしていた彼は、19歳の時に、子ども時代に公園でケガをした事故の和解金をニューヨーク州から受け取り、その金をもとにラッパーとして本格的に活動を開始。アメリカン・コミックのヒーロー、パニッシャーにちなみ、「ビッグ・パニッシャー」というステージネームにし、ビッグ・パンという愛称で呼ばれるように。「フル・エクリップス」というグループも結成し、巨体だけでなく人柄の良さ、そして息継ぎをせず長時間ラップできる独特のテクニックで注目されるようになった。

 95年に同じくブロンクス出身で、ラティーノ・ラッパーとして活躍していたファット・ジョーに気に入られ、ジョー率いるヒップホップ集団「テラー・スクワッド」の一員となる。ラウド・レコードと契約を結び、97年には「I’m not a player」がヒット。翌年発売したアルバム『Capital Punishment』はソロ・ラティーノ・アーティスト初のプラチナムレコードとなり、R&Bチャート第一位を獲得。グラミー賞にもノミネートされた。

 ラティーノ界のヒーローとなったパンだが、疲労から心臓発作を起こし、医師から2週間休養するよう命じられる。ジェニファー・ロペスら大物アーティストとコラボするなど成功を収めた彼だが、過食を止められず、周囲を心配させた。さすがに本人も危機感を抱いたようで、99年にデューク大学の減量プログラムを受け、36kgの減量に成功。しかし、すぐにリバウンドしてしまい、ジェニファー、ファットと共にパフォーマンスする予定だった00年2月5日の『サタデー・ナイト・ライブ』出演を体調不良でドタキャン。その2日後、家族と共に滞在していたニューヨークのクラウン・プラザ・ホテルで呼吸困難に陥り、心肺停止に。すぐに救急隊員が駆けつけ蘇生を試みたが、息を吹き返すことはなかった。まだ28歳だった。

 司法解剖の結果、パンの死亡時の体重は316kgだったと伝えられている。

ネイト・ドッグ

 1969年8月19日、ミシシッピ州にナサニエル・ドウェイン・ヘイルとして誕生。父親は牧師、母親は教会の合唱団のまとめ役で、ゴスペルミュージックにどっぷりと浸かりながら育った。14歳で両親が離婚。カリフォルニア州ロングビーチに移住し、高校で同級生のスヌープ・ドッグとラップや歌でバトルする日々を送るようになった。

 17歳で高校を中退、海兵隊入りし、沖縄の米軍基地などに配属されたが3年で除隊。ロングビーチに戻り、地元のクラブで活動していたスヌープとウォーレン・Gに誘われ、ヒップホップグループ「213」を結成。スヌープが抜けたのちも、ネイトはウォレンと活動を続け、94年に客演したウォレンの「Regulate」で披露したゴスペル仕込みの甘い歌声が大ウケけし、“Gファンクの先駆け的存在”と呼ばれるようになった。

 94年に窃盗罪で逮捕され、服役した経験を歌ったソロアルバムを98年にリリース。好評だったが、大ヒットとまではいかず、ネイトはソロで活動するより客演アーティストとして活動した方が金もうけができると確信する。そして、エミネム、50セント、リュダクリスら世界的な有名ラッパーを含む数え切れないほど大勢のラッパーとコラボし、ヒット曲を飛ばすようになった。

 女性ファンが多かったネイトは、複数の女性との間に9人の子どもをもうけるなど、プレイボーイとしても知られた。金も名声も得たが、アルコール依存に陥り、泥酔して元交際相手の家に不法侵入したり、その女性の現彼に暴力を振るうなど警察沙汰も起こし、友人たちは「酔っ払うと手がつけられなくなる」と心配した。

 07年、飲酒運転で車が横転するという大きな交通事故を起こして頭を打ち、複数針縫うケガを負う。意識ははっきりしていたネイトは、医師の猛反対を振り切りすぐに退院し、予定していたラスベガスのライブに出演。その数カ月後、脳卒中を起こし倒れた。

 利き手のある左側に麻痺が残ったネイトだが、懸命にリハビリをして奇跡的に復帰を遂げる。改心し、ゴスペル合唱団を結成して活動するようになったが、酒を断つことはできず、08年に2度目の脳卒中を発症。2度目の脳卒中は重く、体が動かなくなり、発語もできず、寝たきりの状態になった。体は動かないが、頭はしっかりしていたため、アルファベット・ボードを使い、目の動きで意思を伝えていたという。家族やスヌープやウォレンは頻繁に彼を見舞い、回復を願った。しかし、11年3月15日、合併症を起こし亡くなった。41歳だった。

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