【連載】堀江宏樹に聞く! 日本の“アウト”皇室史!!

皇族の知られざる素顔――48歳年下の養女に手を出すトンデモ天皇がいた!? 【日本のアウト皇室史】

2019/06/29 17:00
堀江宏樹

高い身分の人々の同性愛は当たり前?

堀江宏樹さん(撮影:竹内摩耶)

―――身分の高い方々の同性愛は、当時よくあったことなんですか?

堀江 白河法皇も藤原公実もお世継ぎをすでに儲けていたので、とくに問題がなかったんです。彼らが生きた平安時代後期を、歴史用語で「院政期(いんせいき)」と呼びます。この時代は、“寝室”で歴史が作られていたと言っても過言ではない……つまり、強い人から寵愛を受ければ受けるほど出世できる時代なので、男女関係だけでなく、男性同性愛も盛んだったようです。

 あと、当時、恋愛はレジャーみたいなものでもありました。ほかに娯楽が少ないですからね。でも中学の古文の授業を思い出してください。当時、それなりの身分のお姫様と会うには、和歌やプレゼントを“しつこく”送らないと、面会すらなかなかしてくれません。男性同士の場合、お姫様に会うまでの、まどろっこしいやりとりはなかったようです(笑)。

―――自由恋愛イコール同性愛というような部分があったみたいな?

堀江 極論すれば、そう言えます。でもね、現代人からすると不可解なんですが、単純に好きな相手とセックスするというより、“にくい相手”、たとえば政敵の男と「わざわざ」寝てしまうケースもあるんですよ。男色の記述が多いことで知られる、院政期の公家・藤原頼長の日記『台記』などに出てくるケースです。「愛ゆえに」というより、人間関係の“ガス抜き”みたいなことを狙って、同性同士でセックスしていたのかもしれません。

 あるいは、当時の高貴な人たちにとって男女関係は、政略結婚などに象徴されるように、自分の意志だけでは決められない要素が多すぎました。愛人選びだって、単純に自分の好みだけでは決められません。しかし同性愛は、そういう男女関係にまつわる「わずらわしさ」からは、少なくとも自由で、純粋な関係だったと言えるかもしれません。

―――“にくい相手”とのセックスとは、現代人の思考回路では考えにくいので驚いちゃいました。資料によると、嘉承2(1107)年、藤原公実が“突然”亡くなりますね。すると彼の娘のうちの一人を白河法皇は自分の養女にした、という記述があります。

堀江 娘というのは、後の待賢門院(たいけんもんいん)、藤原璋子(ふじわらのたまこ)という女性です。ただこの人、スキャンダルクイーン系の美女だったようで、問題アリな人物と言われています。彼女は藤原公実の最後の娘、つまりすごく幼いからというわけでもないのに、白河法皇の養女になった。邪推すると……璋子ちゃんは、幼い頃からとびきりかわいかったし、なんとなく公実パパを彷彿とさせる容貌だったのでしょう(笑)。だから白河法皇はわざわざ養女にしたのでは?

―――NHK連続テレビ小説『なつぞら』も、広瀬すず演じるヒロイン・なつが北海道に養女のようにしてもらわれていくという展開がありましたが、なつのことは顔では選んでませんよね。

堀江 顔で選んだのでは、というのはあくまでも僕の推測ですが、『今鏡』という歴史物語に、白河法皇が昼間っから璋子と“あやしいこと”をしていたというシーンが出てくるわけです。

―――あやしいことってなんですか? 昼間からお父さんと“あやしいこと”……とても気になるんですけど!

第2回につづく!!)

堀江宏樹(ほりえ・ひろき)
1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。2019年7月1日、新刊『愛と欲望の世界史』が発売。好評既刊に『本当は怖い世界史 戦慄篇』『本当は怖い日本史』(いずれも三笠書房・王様文庫)など。
Twitter/公式ブログ「橙通信

 

最終更新:2019/09/18 15:36
新品本/本当は怖い世界史 戦慄篇 堀江宏樹/著
この時代にマスコミがなくてよかった……
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