『ザ・ノンフィクション』レビュー

『ザ・ノンフィクション』「日本には住めない」56歳男と「帰国できない」68歳男「黄昏れてフィリピン~借金から逃れた脱出老人~」

2019/05/27 18:56
石徹白未亜

「人に迷惑をかけているのに幸せに暮らすなんて」という発想

 見ているこちらまで暗くなってしまうサダオより、マナブの方が健康的な人間なのだが、私が圧倒的にシンパシーを抱いたのは、暗く暮らすサダオだった。というのも 、マナブは日本との前妻の間に残した息子を自殺で亡くし、それも娘からの連絡で知っている。長男の自殺は、相談できる人がいなかったことが原因のひとつだったようだ。マナブは自分を責めていたが、一方でフィリピンで20代の妻を持ち、子どもまでこさえている、というのがどうも私には受け入れがたかった。

 そもそも、マナブとサダオもフィリピンクラブで作った借金で「飛んだ」のだ。親類縁者は迷惑しただろう。ここからは“たられば”だが、マナブが近くにいれば長男は死なずに済んだかもしれない。「人に迷惑をかけておいて、幸せに楽しそうに暮らすなんて……」と、まず思ってしまった。しかし考えてみれば、この「人に迷惑をかけておいて」という発想は、とても日本的だとも思う。私に限らず、少なくない日本人にとって「迷惑をかけてはいけない」思想はあるのではないだろうか。

 暗いサダオも、この「迷惑をかけてはいけない」思想が強いように思う。サダオはエドガーさんに説得される形で日本大使館に行き、帰りの航空券(約6万円)さえ用意できれば、サダオのパスポートが切れてからの不法滞在の罰金は帳消しにする、と回答をもらう。

 しかし、その6万円を工面するために実兄に久々に電話をかけるも、年金生活の兄の気持ちを慮り、具体的に話を切り出すことができないまま諦めるのだ。さんざん迷惑をかけてしまったから、これ以上何かを言うことができない。もし6万を用意できたとしても、帰った後に暮らす場所も金もない。そんな諦めの重なりが、“希望”を言い出すこともできないサダオの暗さを作っているようにも思う。

幸せになることから逃げない、マナブの日本的じゃない生き方

 一方のマナブは、住み込みのメイドとして働いている妻が、勤務先の社長に口説かれて家に戻ってこなくなった。2カ月後、マナブが社長の屋敷を訪ねると、ロナいわく社長はヒステリックな曲者らしいが、生活レベルは比べようもないほど高く、ロナも子どもも、マナブと暮らしていたときより明らかにいい服を着ていた。

 ロナの「あなたにお金があって、私が仕事をする必要がなくなったら一緒に住んでもいい」という言葉にマナブは一念発起。それまでの瓶のラベルを剥がす仕事から運送業に転職を決める。日当は800ペソ(約1,670円)で、それまでの倍近くまで上がったものの、それでも恋敵の社長との経済格差は明確だ(物価の参考として、フィリピンで有名なビール「RED HORSE」はスーパーで330ml缶が40ペソ程度)。

 ロナは番組スタッフに対し、社長に対する恋愛感情はないと言っていたものの、本当かどうかはわからない。一度上げた生活レベルを下げるのは難しいだろう。マナブと暮らしていたとき、朝食のおかずは「庭の木に生えてる葉っぱの卵とじ」だったのだ。それでもマナブは番組の最後、夜中にトラックを転がし到着した配送先で、道路の隅にダンボールを敷いて横になり、朝を待っていた。56歳にしてこのタフさだ。

 マナブは番組の最後で「日本に住めない、こっち(フィリピン)になじんじゃった」とあっけらかんと話していた。マナブは幸せになることからは逃げていないし、幸せにしがみつこうとするガッツがある。遠慮と諦めを漂わせて生きる日本的なサダオを見ると、「日本には住めない」マナブの生き方は、少なくない日本人の心をざわつかせるであろうものがある。

 次回のザ・ノンフィクションは『おじさん、ありがとう ~ショウとタクマと熱血和尚~』。いじめ、薬物依存などで親と暮らせなくなった子どもたちを寺で預かり支え続ける住職・廣中邦充さんと、非行少年のショウとタクマ。彼らの心の触れ合いをとらえた11年の映像記録になる。

石徹白未亜(いとしろ・みあ)
ライター。専門分野はネット依存、同人文化(二次創作)。著書に『節ネット、はじめました。』(CCCメディアハウス)。
HP:いとしろ堂

最終更新:2019/06/20 12:34
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