仁科友里の「女のための有名人深読み週報」

立川志らく、友井雄亮の純烈脱退へのコメントに見る“時代遅れ”の価値観と自意識

2019/01/17 21:00

純烈騒動へのコメントに感じたズレ

 しかしながら、志らくがテレビに出続けていることを考えると、私のようなひねくれた意見を持つ人はごくまれで、多くの視聴者が、彼を支持していると見ることもできるだろう。好みは人それぞれだから、かまわないわけだが、それでも、その人気に違和感を覚えてしまう「何かちょっとずれているなぁ」と感じる発言があるのだ。

 昨年の『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たしたムード歌謡コーラスグループ、純烈。「スーパー銭湯アイドル」とも言われ、『ノンストップ!』(フジテレビ系)で、ファンの熟年女性たちと体を密着させて写真を撮っているのを見たことがある。しかし、「週刊文春」(文藝春秋)に、メンバーの友井雄亮が交際相手にDVを働いていたこと、また金銭の使い込みをしていたことを報じられた。友井自身はこれを事実であることと認め、芸能界引退を発表したのだ。

 このニュースを受け、志らくが「やったことは卑劣、許されない。でも、引退が正しいのか。だって、この後なんらかの仕事に就く。例えば事務員。DVの人が事務員をやっていいの?」「芸能界って本来はどうしようもねぇ連中の吹き溜まり。女ったらし、博打打ち、大酒飲み、自分勝手。でも素晴らしい芸を持っていた。親は子供をそんな世界には入れたくない。でも庶民は憧れた。友井さんは卑劣。でも謹慎して数年の後歌って稼いで被害者に返す。でも今の時代それも許されないか」と、Twitterでつづっているのだが……DVの人が事務員をやっていいと、私は思う。

 かつて、『紅白』に出るような歌手は、歌番組のランキングで上位に入る人がほとんどだった。しかし、今、歌番組はほとんどなくなり、歌手たちは苦戦を強いられている。純烈はスーパー銭湯などで歌を歌い、物販もするなど、地道に知名度を上げてテレビに出てきた。『ノンストップ』で、1万円の首飾りをメンバーにかけてあげる中高年女性を見たが、主なファン層はこのゾーンの女性たちだろう。同番組では、同じCDを何枚も買う女性が紹介されており、「女性たちがカネを出す→売り上げが増える→テレビから声がかかる」という図式から考えると、『紅白』に出られるようになったのは、女性ファンのおかげと見ることもできるだろう。

 DVを行った友井が、反省し、再出発を図るのに、芸能界は問題ありで、事務仕事は問題ないと私は思うのだが、その線引きは“何に対して給料が支払われるか”による。会社員は事務労働と引き換えに給料をもらう。しかし、純烈は違う。女性ファンに夢を見せることによって、献身や献金をしてもらい、『紅白』に出るまでの成功を収め、ギャラを得ている。その一方で女性に暴力を働いたり、使い込みを行うという、女性ファンの夢を壊すことをしていたのだ。

 志らくの発言に違和感を覚える理由は、今の「芸能人と一般人の序列」を理解していないように見えるからだ。ちょっと前まで、売れる人というのは、テレビが猛プッシュして名前と顔を売っていた。つまり、テレビが売れる人を作っていたとも言えるので、この時代の序列は「芸能人(もしくはテレビ)>一般人」である。しかし、今は時代が違う。テレビに出なくても、セールスを稼げれば純烈のように『紅白』にも出ることができる。ネットでの炎上がもとでCMが休止になったり、ドラマのタイトルが変更になったりもすることから考えると、時と場合によっては、「ネット>テレビ」になることがある。SNSの発達によって、これまでなら握りつぶされてきた芸能人の悪行を一般人が拡散することもできる。もはや一般人と芸能人は同等で、失うものの大きさから考えるのなら、その序列は「一般人>芸能人」とも言えるのだ。それなのに、志らくは相も変わらず、芸能人が上であると信じているような発言があるから、私はズレていると感じてしまうのである。

 けれど、志らくのような“オレは何でもわかっちゃうんだけどねオジサン”がいないと、盛り上がらないのもテレビだ。志らく師匠、ますますのご活躍を期待しております。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの

最終更新:2019/01/17 21:00
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