「ちょうどいいブス」は処世術だが女性蔑視でもあり、呪いでもある

2018/12/12 20:00

 来年1月10日からスタートするドラマ『ちょうどいいブスのススメ』(日本テレビ系)が、放送前から議論を呼んでいる。

 このドラマは、お笑いコンビ「相席スタート」山崎ケイ(36)の同名エッセイが原作。“ちょうどいいブス”は山崎ケイの代名詞だ。ドラマの公式サイトによれば、夏菜(29)、高橋メアリージュン(31)、小林きな子(41)らが、「何かしらの生きづらさを抱えている」「現在、イケてない女子」に扮し、「ブスの神様」である山崎ケイのアドバイスを受けながら「ちょうどいいブス」を目指していくという。山崎ケイが、世の女子たちに「まずは自分が思っている以上に自分がブスであることを受け入れなさい!」と喝を入れ、実体験をもとに「ちょうどいいブス(ちょいブス)を目指してみませんか?」と啓蒙する……「生き方指南・共感ラブコメディー」だ。

 しかしこの『ちょうどいいブスのススメ』、ネットでは放送前から批判が殺到し、はやくも炎上気味になっている。SNSには、「こんなタイトルつけんのか。なんか納得できない」「いつまでこんな価値観でドラマ作る気なの?」「時代錯誤感ありありのドラマやるのか…もう平成も終わるってときに…」「男価値観の奴隷になりたいなら勝手だけど、地上波で押し付けないでほしい!」などと、辛らつな意見が数多く噴出している。

 放送前のドラマがこれだけ批判的な意見が集めてしまったのは、タイトルの「ちょうどいいブス」というワードにモヤモヤさせられた人が多かったからだろう。まず、端的に「ブス」という言葉は「美人」を意識したものであり、根底にルッキズムがあること。また、「ちょうどいいブス」というのは、他人にとって都合のいい存在になることを推奨しているようであること。それらが「モヤモヤ」を誘うことは事実だ。

 いったい誰にとっての「ちょうどいい」なのか? 山崎ケイが日頃から「モテ」をネタにしているように、男性に「選ばれる」ための「ちょうどいい」を指しているとするならば、それは女性を著しく貶めることでもある。「ちょうどいいブス」というワードは、ナチュラルな女性蔑視になり得る。

 一方で、「ちょうどいいブス」を提唱する山崎ケイは、逆に「女性の生存戦略」として、つまりこの社会における女性の生きやすさをUPさせる手段としてこれを推奨しているように見える。女性を貶める意図はなく、ちょっとした自虐と自慢のハイブリッドが彼女にとっての「ちょうどいいブス」ネタだ。彼女の価値観や「ちょうどいいブス」のコンセプトを肯定する意見もSNSには多い。

 しかし、自ら「ちょうどいいブス」を名乗り、またそれを目指すことは、やはり女性にルッキズムの呪いをかけ、主体性を奪い、「(男性に)選ばれる側」からの脱却を阻止してしまう。このことに山崎ケイは無自覚だと思う。

 女芸人にとって、外見をネタにすることはひとつの処世術であるし、自らの容姿を受容した上で武器にする覚悟はあるだろう。しかし、芸人は「ブス」で笑いを取ることで名声を獲得できるとしても、一般女性が容姿をネタに自虐しても、その犠牲に見合うだけの恩恵は受けられない。自尊心が損なわれるだけだろう。

 そう考えれば、山崎の「モテネタ」はあくまで「ネタ」で、広く世間に落とし込む必要があるのか疑問ということになる。まして昨今では、テレビバラエティにおける「ブスいじり」もすでに笑えなくなっている。いずれにせよ、「ちょうどいいブス」というワードセンスが時代を読み違えていることは間違いないだろう。

「ちょうどいいブス」は「性格美人」を指す?
 「ちょうどいいブス」というワードについて述べてきたが、ドラマの内容はどうか。おそらくだが、「女性をエンパワメントする」思いで作られている作品ではあるだろう。

 公式サイトには「もしかしたら私、ブスなんじゃないかなと一度、仮定してみませんか? それが素敵な女性になるための第一歩なのでは? というのがこのドラマのコンセプト!」との説明がある。

 夏菜は、「自己表現下手くそブス」というキャラクター設定で、「常に“受け身&待ち”の姿勢なので何も起こらない。しかし心の中では、言いたいことや感じたことを常にしゃべり倒していて、本音ではもっと積極的になりたい、素敵な恋愛したいと思っているが、周囲から“浮く”ことへの不安が、彩香を行動しない人間にしてしまっている。思い込みが強く、普段おとなしくしている分、酒が入ると一気に暴走、大胆で饒舌になる」。

 高橋メアリージュンは「融通の利かないブス」で、「性格は真面目で仕事も早いが、協調性がなく仕事のやり方も常に自己完結している。自分の仕事は文句を言われるスキがないよう完璧にこなす一方、他人のミスには厳しい。結果、周囲からは「面倒で厄介な女」と疎まれていて、「誰も自分を理解してくれない」と常日頃から思っている。恋愛においては、いわゆる『モテない美人』」。

 小林きな子は「開き直りブス」で、「売れないバンドマンと付き合っている。かいがいしく世話を焼くが、好きという気持ちを相手に振りかざし、金や物で釣ることもしばしば。周囲の女性に対してはやたら厳しく評価し、モテようと頑張る女性をディスるのが趣味。何かにつけて「でも、私彼氏いるんで…」と彼氏の存在を免罪符にしている」。

 おそらく同ドラマでは、夏菜をはじめとするキャラクターの内面的な問題をとらえて、葛藤を乗り越えながら少しずつ成長していく……というストーリーが描かれるのだろう。つまり、ドラマが定義する「ブス」は外見に限らず、内面を差していることは明らかだ。

 おそらくは、「顔の美醜はともかくとして、性格ブスな女たちが変わっていく」という話になるのだろう。「ちょうどいいブス」=「性格美人」ということなのかもしれない。

 はてさて、しかしである。「素敵な女性になる」ってどういうことなのだろう。自己表現が下手だったり、思い込みが激しく頑固だったり、ひたすら性格が悪かったりする登場キャラクター達が魅力的に描かれるような脚本にはならないだろうし、周りの人間にとって「ちょうどいい」存在になることで彼女達は生きやすくなるのだろう。けれど「モヤモヤ」は、再びよみがえる。結局、「他人にとって都合のいい存在になることを推奨している」のではないか……?

夏にも炎上していた「ちょうどいいブス」
 ちなみに「ちょうどいいブス」というフレーズは、今夏、花王のヘアケアシリーズ「エッセンシャル」の販促PRでも使われ、炎上していた。公式アカウントによるPR動画への誘導ツイートで、<山崎ケイってちょうどいいブスじゃなかったっけ? いい女になってるその秘密は? ツイートして、続きの動画をチェックしてね>という投稿がなされ、女性をメインターゲットにした商品のPRで「ちょうどいいブス」という言葉が使われたことへの反発が相次いだのだ。

 この時も、「誰にとってのちょうどいいブス?」「外見で人を値踏みするのもうやめましょう」といった意見が多く、花王は「多くの方にご不快な思いをさせてしまった事を深くお詫び致します」と謝罪している。

 炎上していたにもかかわらず、ドラマ化の企画が進行しているということは、山崎ケイの提唱する「ちょうどいいブス」論を肯定し共感する女性は、少なからずいると考えられているのだろうし、実際にいると思う。もちろんドラマ制作スタッフの中にも、その価値観に共鳴し、「ブスな女の子たちを変えたい」と思って取り組んでいる女性がいるかもしれない。

 周囲に、そして意中の男性に評価されることが、女性にとっての生きやすさであり、幸せへの近道であり、賢い生き方だという価値観。それ自体は否定されるべきではないのだから、これ以上の批判も難しいが、ひとつだけ言えることは、「ちょうどいいブス」を目指さなくてもべつに構わないということだ。他人を値踏みする人たちに高く評価されるために頑張らなくてもいい。自信を持つ方法は他にもたくさんあるし、誰もが胸を張って生きればいいのだ。

(今いくわ)

最終更新:2018/12/12 20:00
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