日本への思いは親と似てる

急増する「日本のココがすごい」「日本好き外国人」番組にモヤっとする4つの違和感

2018/10/15 20:10

国家観には、一人ひとり地雷がある

 何も「日本をこじらせて」というタイプの人でなくても、「国家観」に触れるようなテーマは非常にセンシティブな話題であり、「韓国(中国でも)についてどう思う?」と友人や同僚、上司にカジュアルに聞くべきではない、とたいていの分別ある大人は思っているはずだ。「ウズベキスタンについてどう思う?」と聞くのとは危険度のレベルが違う。

 「国家観」というのは案外多くの人が、そして意外そうに見える人が、なかなかの“地雷”を熟成させている項目かもしれない。私は「君が代を断固歌わない」ではないが、オリンピックやワールドカップで「君が代」を歌わず聞くだけの日本人選手の気持ちはよくわかる。一方で、国旗をまっすぐに見つめ、腹に力を入れ国歌を歌う他国の選手を見ると、ある種のまばゆさも覚える。

 一方で、この原稿にむかついていたり、そこまでの違和感をなぜこの人は持つのか、と感じる人もいるとは思う。冒頭でも上げたが「私と日本」は「私と親」と似ていて、「基本的なベースに感謝はあるが、積極的に関わりたいという情熱はない」というスタンスであるため、「日本好き番組」は過剰さが鼻に付く。しかし、これをいい、と思う人が多いから、この手の番組は人気なのだろう。

 だが、自分のどこか冷めた、「国家=親=元気でいてほしいが、あまり何か積極的にすることはない」という姿勢が、「好きだしリスペクトしている」と比べて劣っているものだとも思わないのだ。

石徹白 未亜(いとしろ・みあ)
ライター。専門分野はネット依存、同人文化(二次創作)。著書に『節ネット、はじめました。』(CCCメディアハウス)。
いとしろ堂

最終更新:2018/10/15 20:10
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