松本人志が公開いじめを笑う『HITOSHI MATSUMOTO Presents FREEZE』の“価値”とは?

2018/09/21 20:00

 9月19日より配信が開始された『HITOSHI MATSUMOTO Presents FREEZE』(Amazon Prime Video)。同じく、松本人志がホスト役を務める『HITOSHI MATSUMOTO Presents ドキュメンタル』(Amazon Prime Video)の流れを汲む新シリーズとして話題を集めている。

 『HITOSHI MATSUMOTO Presents FREEZE』で松本人志から提示されたルールはひとつ。「FREEZE」とコールされたら、参加者は椅子に座った状態で背筋を伸ばして腕を組み、「RELEASE」とコールされるまで、なにをされても動いてはいけないというものだ。最後まで耐え抜いた優勝者には賞金100万円が与えられる。

 現在配信されている第1シーズンは、岩尾望(フットボールアワー)、クロちゃん(安田大サーカス)、鈴木奈々、ダイアモンド☆ユカイ、藤本敏史(FUJIWARA)、ボビー・オロゴン、諸星和己、山崎静代(南海キャンディーズ)といった面々が参加しているのだが、同19日に行われた配信記念記者会見では、出演者が口々に『FREEZE』の収録の厳しさを吐露した。

 特に、諸星和己は笑いを交えながらも、<柔らかく言って『行き過ぎたいたずら』。悪く言うと『パワハラ』。第三者委員会に委ねていますから>と発言。それに対し、松本人志が<本当の審議が入ったら完全アウト。本気で訴えたら全員勝てる>と返す一幕もあった。

 実際、『FREEZE』で出演者たちに襲いかかる仕掛けは、悪く言わなくても、「パワハラ」そのものだ。

 前述の通り、参加者はルール上、椅子から動けないわけだが、そんな相手の至近距離で爆竹を鳴らしたり、すねを竹刀で殴打したり、スターターピストルを向けて脅したうえで引き金を引いたりといった演出が続く。そして、極め付きは、出刃包丁をくくりつけたドローンを飛ばし、目の付近を刺すといったものだ。

 出刃包丁ドローンの餌食となったのはクロちゃんで、彼は二回にわたって目の付近を刺された。幸いにも眼球からは逸れていたが、まぶたの上と眉間という非常に微妙な位置を刺されており、スタッフがドローン操作を少しでもミスしていたら失明してもおかしくないため、視聴者は笑うというよりハラハラする。

 これにはさすがに「RELEASE」の声がかかった後、参加者全員が絶叫し、ボビー・オロゴンは<なんで動かねえんだよ!>と語りかけていたが、確かにこれはバラエティー番組の演出の域を逸脱し過ぎている。その逸脱が“規制のないネット番組の良さ”なのだろうか。

 クロちゃんも番組内で<ドローンを使うと思ってなかったから。しかも、包丁くくりつけてきたでしょ。ダメだから。よく当てたよね、マジで。事故だよ、事故。あんなの>とコメントしているが、これは芸人が“盛って”話しているのではない。事実、ドローン出刃包丁で起きた一連の出来事は<事故>としか言いようがなく、あの演出で笑える人はほとんどいないだろう。

 『FREEZE』では、別室にいる松本人志が参加者に与える演出の指示を出し、8人が苦しむ姿を見て高笑いする。前述の会見で松本は<ドキュメンタルでは監視員なんですけど、こっちからいろいろ仕掛けられるのでまあ楽しかった。やってて王様の遊びかなって思いましたね>と語っているが、確かに、『FREEZE』の構図は、「奴隷が虐待されている姿を見て喜ぶ王様」そのものだ。

 『FREEZE』の前身番組『ドキュメンタル』は現在シーズン5まで制作されるほどの人気シリーズとなっており、日本国内におけるネットオリジナルテレビ番組の成功例として名前があがることも多い。

 以前、wezzyでも取り上げたが(ネットテレビが取り組む「地上波ではできない笑い」は、暴力と下ネタなのか)、『ドキュメンタル』は番組内における下品な表現(特に下ネタ)が際立っている。

 だが、『FREEZE』を前にすると、『ドキュメンタル』も遥かにまともな番組に思えてくる。少なくとも、『ドキュメンタル』には、お互いを笑わせ合う芸人たちのクリエイティビティの発露があり(その“質”や“品”はさておき)、芸やアイデアを競い合う芸人たちのやり取りには見るべきものもあった。パワハラ的な要素も『FREEZE』に比べれば格段に少ない。

 しかし、先に述べた通り、『FREEZE』には、そのような「笑い」に奉仕するクリエイティブな要素はいっさい存在しない。『FREEZE』にあるのは、抵抗できない弱い相手を痛ぶって喜ぶ「いじめ」の要素のみである。

 どうして『FREEZE』のような企画が生まれたのか。松本はエピソード1の冒頭でこのように語っている。

<『ドキュメンタル』に匹敵する、もしくはそれ以上のものは、もうないんじゃないのかなと思っていたけれども、会議をしていてフッと来た感じの企画で、ちょっと大風呂敷を広げさせてもらうのであれば、それ(『ドキュメンタル』)に見合うぐらいのものができるんじゃないのかなと思ってますよ>
<“最弱こそ最強”という感じかなっていうのは見てもらったら分かる気がするんですけど。芸人だけにこだわらないというかね、芸人以外の人ももっと参加できるような。もしかしたら、世界で一番面白い人は、世界で二番目ぐらいに面白くて、本当に一番面白い人は、なにもしない人やっていう。それなのかもしれないなっていうところに、入りつつあるんでしょうね>

 そして、松本は<タイトルは『FREEZE』っていうね。なにもしない者が制するというね。でも、そこにはきっと笑いが絶対にあって>と話をまとめた。

 エピソード1を見る限り、<そこにはきっと笑いが絶対にあって>というのは疑問だ。実際、番組に寄せられているレビュー文やSNS上では、先ほど述べたドローン出刃包丁の演出などを例に挙げながら疑問を呈する声が少なくない数出ている。

 現在配信されているのはエピソード1のみ。週に1話ずつ更新され、最終的には5話を予定している。序盤でこれなのだから、佳境に入ったところで出演者がどんな目に遭うのかは想像するのもつらい。

 インターネットオリジナルコンテンツの番組が、自らの価値を喧伝する際、しばしば「地上波ではできない」といった文言を使う。前述の会見で松本は<テレビの世界からは干されかけているのでAmazonさんと心中するつもりでやっていきたい><とにかくこれを観てもらわないと。今のお笑いの最先端とは言わないけど、誰もやってないことをやってるので1回は観てほしいですね>と語っており、『FREEZE』にもその側面はあるのだろう。

 しかし、クリエイティブの自由を与えられ、地上波ではできない番組づくりをした結果として行き着いた場所が、『FREEZE』のような「奴隷を虐待して遊ぶ中世の王様の遊び」的コンテンツだとするならば、あまりにも虚しいと思わずにはいられないのである。

(倉野尾 実)

最終更新:2018/09/21 20:00
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