『ちびまる子ちゃん』が全然良い子じゃなかったことに癒され、励まされた

2018/08/28 20:00

 『ちびまる子ちゃん』で有名な漫画家のさくらももこさんが8月15日に乳がんのため53歳で死去していたことが、8月27日に発表された。早すぎる死には、悲しみの声が広がっている。

 1965年に静岡県で生まれたさくらももこさんは、高校時代の小論文テストでエッセイ風の文章を書いたところ「現代の清少納言」と絶賛され、それがきっかけでエッセイ漫画を描き始め1984年に『りぼん』(集英社)でデビュー。自身の子ども時代をモチーフにした『ちびまる子ちゃん』は1986年より連載が始まり、1990年にフジテレビでアニメ化放送が始まると社会現象になった

 今も語り継がれる名作を数多く輩出してきた『りぼん』において、『ちびまる子ちゃん』は異色の作品であったといえる。『りぼん』誌面に登場する主人公は、いわゆる「性格の良い女の子」が多かった。元気であろうが内気であろうが平凡であろうが非凡であろうが美人であろうがボーイッシュであろうが、基本的には優しい、嫉妬しても悪意はほぼ抱かない、意地悪な相手でも最後は許せる、よくできた子なのだ。真面目な努力家であることも珍しくない。小学生を中心とする読者たちは、そのような主人公に感情移入して、時にイライラしながらも主人公になりきった気分で読み進めていく。

 しかし、『ちびまる子ちゃん』の主人公である、小学3年生の「まる子」ことさくらももこは、失礼ながら、そうじゃない。さくらももこさんが小学生時代を過ごした1970年の静岡県清水市を舞台に、まる子目線で平凡な小学生の日常が描かれていくが、まる子は全然「良い子」じゃないと、子供心に思っていた。

 とりわけ漫画連載初期の頃のまる子は、怠け者でお調子者で浪費家で利己的で、腹黒くてずる賢くて意地汚く、そしてドライでちょっとおバカな女児、つまりはクソガキである。家でも学校でもあらゆることを面倒くさがってサボりたがり、常に楽・得・怠を求め、ロクなことをやらないくせに大人の思慮には鋭い視線を向けており、とかく大人が子どもに求めがちである素直さや意欲や思いやりや積極性なんてほぼ皆無だ。あまりにも普通で等身大の小学生女児が描かれていることに癒され、励まされた読者は少なくないのではないだろうか。

 コミックス5巻あたりからは、下校途中に見つけた子犬をかわいがったり、クラスメートの心情を慮ったりなど、まる子が世話好きのお人好しで困っている人を放っておけず、感受性の強さと鋭い洞察力を発揮する描写が増えてくるようになったが、まる子はいつまでたっても小学3年生のままだし、怠け者描写はずっと変わらず、お姉ちゃんの交換日記を盗み読むなどの愚行を働くこともしばしばある。

 そもそも大人の管理下で生きるよりほかない小学生にとって、理不尽は日常茶飯事だ。自分が選んだわけではない場所や家に、自分が選んだわけではない家族と共に住み、その地域にある学校に通い、担任もクラスメートも選べない。家でも学校でもやりたいのにやってはいけないこと、やりたくないのにやらなければいけないことが常にあり、「嫌だ」「面倒くさい」「つまらない」といった主張は認められにくい。『ちびまる子ちゃん』では、マラソン大会が嫌だったり、気の合わない相手とペアになったり、お小遣いが足りなかったりなどといった小学生の憂鬱を、いやなものはいやだし、面倒くさいことは面倒くさいとして、ギャグを交えつつも率直に描かれる。まる子は大人が思い描くような理想的ないい子でもなければ、ノー天気でも無邪気でもない。時代背景や個々の性格の違いはあれ、多くの人の子供時代はきっとそのようなものだ。だからこそ長きに渡って親しまれ、愛されるのだろう。

 そしてもうひとつ、さくらももこさんといえば、1991年刊行の『もものかんづめ』(集英社)をはじめとするエッセイ集でも人気を集めた。『ちびまる子ちゃん』に登場する祖父・友蔵はまる子に慕われ時にいいように使われるおじいちゃんだが、『もものかんづめ』にも収録されている実在した祖父の葬式にまつわるエピソード「メルヘン爺」では、「ろくでもないジジィ」であった祖父の死について面白おかしく書かれており、身内をひどく書いているとして、雑誌掲載時は非難もあったという。そのことについてさくらももこさんは『もものかんづめ』のあとがきで、「私は自分の感想や事実に基づいた出来事をばからしくデフォルメすることはあるが美化して書く技術は持っていない。それを嫌う人がいても仕方ないし、好いてくれる人がいるのもありがたい事である」「“身内だから”とか“血がつながっているから”という事だけで愛情まで自動的に成立するかというと、全くそんな事はない」と記していた。

 普通の感覚、普通の日常を、読ませる文章にして届ける力が傑出していた彼女は、まさに「現代の清少納言」と呼ぶにふさわしい存在になったのかもしれない。彼女が遺した作品はこれからも多くのひとに読み継がれ、普通のクソガキである子供達にとっても、クソガキが成長しただけの大人にとっても、大切なものとなるだろう。

最終更新:2018/08/28 20:00
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