おむつなし育児が提唱する“お説”を検証「いつまでもおむつをしているのは悪いこと」!?

2018/04/24 20:00

 紙か布か。これから育児を始める、もしくは育児始めたての親たちにとって〈おむつ〉は関心の高いトピックスでしょう。ところが、そのどちらでもない方法が存在します。それは〈おむつなし育児〉。

 発言小町にもたびたび登場する物件で、「おむつなし育児の友人が泊まりに来る」なるトピでは「絨毯や布団に漏らされたらどうするんだ」「信じられません」「断ったほうがいい」といった意見が続出。ただ、実際は〈糞尿垂れ流し〉ではなく〈普段はおむつをつけていても、タイミングを見て排泄時には極力おむつの外で出させる〉というもののよう。

 おむつなし育児を布教する団体のHPでは、〈早期トイレトレーニングではなく「気持ちよい自然な排泄」〉が目的であると強調されています。でも、おむつなし育児の謳う〈自然な排泄〉って?

 同ホームページにも名前を連ねる〈おむつなし育児研究メンバー〉は、共著で『赤ちゃんにおむつはいらない-失われた身体技法を求めて』(勁草書房)なる書籍を出していますのでそれをウォッチしていきましょう。

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 中心人物は、経血コントロールでお馴染みの作家・三砂(みさご)ちづる氏(過去記事ご参照)。三砂氏を編者とし、おむつなし育児研究所の所長を務める和田智代氏(書籍では「知代」と表記)や、NPO自然育児友の会の事務局に関わったという伊藤恵美子氏など、複数のメンバーが執筆しています。同書ではおむつなし育児は〈2006年から2年間、トヨタ財団の助成で行った研究〉であり〈保育士、母子保健・育児関係者、民俗学者などが研究メンバー〉と説明。

「排泄の話なのに、小児科医や泌尿器科医はいないのねえ~」と思う方も多いかもしれません。その点については、冒頭で三砂氏がこう力説しています。

「おむつなし育児は、こうすればこのようによいことがある、という科学的因果関係を求めるものではない。以前は誰もがやっていた、人間の知恵、である。赤ちゃんをご機嫌よくすこやかに育て、関わる人間の共感能力をも上げる知恵であった。そこで育ってくる人がまた、本当の意味でのコミュニケーションの能力、すなわち共感能力の高い人になっていくことはおそらく疑いのないことであろう」

 失われた身体技法! 古の知恵! そこに真の豊かさと健康が! 経血コントロールといい、三砂氏は本当にこの手の物語がお好きですね。しかし健康や社会にそれほどいいものであるなら、医学的根拠(科学的根拠)もあればなおよし、だと思うのですが。なぜそこを避けるのか、なんだか不自然。

 母親が自信をつけ、赤ちゃんの機嫌よくなる!?
 おむつなし育児のざっくりした概要は次の通りです。

・首の座らない赤ちゃんも、母親がタイミングを察しておまるの上にぶら下げてあげると(やり手水=やりちょうず、というそう)気持ちよく排泄できる。おむつでするよりも、うんちをたくさんする傾向がある。

・排泄のタイミングを常に気にする必要が出てくるので、お互いのコミュニケーションが取りやすい。母親の自信にも繋がる。

・おむつが汚れるという不快な感覚を味わうことが減少し、常に機嫌がよくなる。

・おむつをしていないほうが排泄の感覚が発達するようで、排泄の自立(タイミングを見て自分でトイレでできる)が早くなる。

 要は、おむつの中でしない=自然な排泄と言いたいよう。おまるやトイレに出す習慣は小さな赤ちゃんでもできる自然なこと! という按配です。

 一般的には、膀胱や脳がある程度発達する1歳を過ぎないとトイレを意識するのは難しいとされています。しかし、経験上そんなことはない! と主張するのです。この他、おむつなし育児を実践する保育園の「おむつをつけないほうが赤ちゃんの動きが活発」という意見や、パンツを履いていると漏らすのに、履かずにいると漏らさないなど面白いエピソードも。

 一部は「なるほどな~」と思えるもののもありましたが、「これこそが、赤ちゃんの心に寄り添った、赤ちゃん主体の育児である!」というお説がどうにも飲み込みにくい。手をかけてあげている、子どもの欲求が把握できるという、大人側の満足では? という気がします。だっておむつの中に排泄したって、速攻変えてあげれば、とりわけ機嫌悪くなったりしないと思うのですが(個人差は大きいでしょうけど)。五感が育つ! というけれど、おむつ外れの時期が少し早いことだけが、その根拠なのか? という(あ、科学的根拠を求めちゃいけないんでしたっけ)。

 高齢者が語る昔のおむつ事情や、東南アジアの育児法などを紹介しながら、こんな話も登場します。

「全身全霊で赤ちゃんに注意を向けていれば、排泄のタイミングはわかる!」

「布おむつの時代だって、不思議とおんぶしているときに漏らされることなんてなかった(対して紙おむつのほうが、尿の感覚が短く、小刻みにちょろちょろ出していると言う話)!」

「おむつなし育児とまでいかずとも、布おむつは濡れたままにしておけないので、必然と常に清潔な状態が保てる」

 など。ううーん、そんなに昔の赤ちゃんはお尻ピッカピカな状態に手厚くケアされていたんでしょうか。

 ちなみに私が「昔の子育てあるある」として90代の祖母に聞いたことがあるのは、「子守で兄妹をおんぶさせられている男児たちが、遊びに夢中になり赤ちゃんほったらかし→おぶった背中は赤ちゃんのお漏らしでドロドロ」なんてエピソードです。子だくさんで家事労働がハンパなかった時代は、赤ちゃんが雑に育てられていたのも、納得。

 そのイメージが強いからか、常に母親が赤ちゃんの排泄を察知し、お尻ピカピカ状態をキープしていることを「当たり前にできていた」と言われても……「マジで~!?」と穿った眼差ししか向けられないんですよね。経血コントロールと同じで〈できていた人もいただろうけど〉という話です。

自然じゃない排泄、とは?
 おむつなし育児研究メンバーの主張する〈自然じゃない排泄〉もご紹介していきましょう。

・紙オムツは石油由来の製品であるから、さらっとしているとはいえ気持ちが悪い。実際につけたことがあるお年寄りもそう言っている!
→気持ちいいか悪いかは、慣れ親しんでいるかや、好みの問題かと。

・戦前の雑誌『主婦の友』にも「赤ちゃんにおむつをつけるのは悪い習慣」「赤ちゃんは本当はおむつを当てられるのはいやだと思っている!」と書いてある。
→昔の、さらにただの雑誌記事を根拠にされても出てくるのは乾いた笑いのみ。

・股に分厚い布を充てるなんて、気持ちよいはずがない。
→布ナプの人たちは、あったかくて気持ちいい! と言っておりますがこれはいかに。

・おむつの中で排泄することに慣れてしまっているところから、トイレでの排泄に移行させるのは親子ともに大変なエネルギーがいるので、不幸なコミュニケーションとなってしまうケースも多い。
→手間暇かけて「大変」な思いをするのは、自然派育児の好物かと思っていましたが、これはダメなんですね。

 さらに「いつまでもおむつをしているのは悪いこと」「紙おむつに頼ると、赤ちゃんに手をかけなくなってしまう」という高齢者のコメントをわざわざ採用し、〈おむつは基本的に不快であり、大人が自分の都合で快適な生活を追求したいだけのよろしくないもの!〉と言いたいだけではという記述がザックザク出てきます。

「紙オムツはほったらかしにしがち」という主張を引き合いに出す実例も失笑もの。保育園への聞き取り調査でわかった、「1日の使用枚数を制限している親がいて、その家の子どもはいつも登園時に紙おむつがパンパンでかわいそう」というエピソードなのですから。いや、特殊な例を出されて、紙おむつ家庭全般の話のように言われましてもねえ~(確かに一定数存在はするでしょうけど、じゃあ布おむつユーザーは100%清潔にしているかといえば、それも違うでしょう)。

 一般的な紙おむつの使い方も〈出たら変える〉ものなので、コミュニケーションやスキンシップの頻度はそんなに大差ないはず。紙おむつへの偏見に満ち溢れていることだけが、よ~くわかる本だと言えるでしょう。

 さらに研究チームが子育て中の母親たちにおむつなし育児を実践してもらった、その結果報告も凄かった。

「実際に体験したお母さんたちの表情が違う。やさしくおだやかになった」

「排泄ということにまっすぐ向きあっているだけで、なんだかこんなにおだやかで楽しくなれるのだ、ということはわたしたち自身にとっても励まされることだった」

 それが排泄によるものなのか、特殊なミッションに取り組んでいる仲間との交流が楽しいのか、一体、誰が判断できるのか。仮にも「研究」を名乗るチームが、嗜好と主観が入りまくりの調査結果を発表するのって恥ずかしくないのかな~。価値観の違いってやつでしょうか。

 おまけにもうひとつ、世の親たちが排泄物は不潔と忌み嫌っているようなニュアンスも感じましたが、それも完全に「最近の親たちは~」というイメージ先行。

 一部は申し訳程度に〈現代日本の母親は、大家族だった昔と違ってひとりの肩に家事育児の労働負荷や精神的負担がのしかかっているので、負荷を軽減する意味もある〉と補足はあるものの、子どもに全力を投じて「丁寧な子育てをしましょう」というスタンスは一貫。「専門家に依存」「育児書のノウハウに従う」「他の親子のケースを鵜呑みにする」などの育児は、手軽だけど危険! と警鐘を慣らし、手探りで赤ちゃんの排泄と向き合ってこそ、本当の喜びが得られると主張しています。おむつなし育児を「非言語コミュニケーションを磨く黄金の機会!」と、それらしい言葉でアピールしますが、やっぱり私の耳には「楽すんなよ」としか聞こえませんでした。

自然な子育ての輪が広がった結果
 おむつなし育児は、もちろん巷ではスタンダードではなく、完全なる〈エクストリーム育児〉でしょう。そこで「私たちが語らねば!」となるようで、次のような提案までもが登場します。

「親から子供への自然発生的な伝承が無理なのであれば、ネット社会を逆手にとって、自分がまねしたいと思える先輩像を地域の母親たちからマッチングし、そこで伝承していくような形が用意できれば、解決するのかもしれない。実際に、NPO法人自然育児友の会では、『自然な子育て』という志向を共有する母親同士が、ネットや会報をきっかけに出会い、全国各地域で集う場を設けている」

 そういった自然派育児サークルが、育児系トンデモの魔窟となっていることは、当連載の体験談でもご紹介した通り。同書の初版は2009年。約10年後である今、自然派育児周りには、善意を装った怪しいビジネスが集まる場となっている現状を、この本のメンバーたちはご存じでしょうか。サークルに関しては間接的な問題でしょうが、現代の母親たちの悩みを増やさないでいただきたい。古の知恵も結構ですけど。

「大変な時代に戻れと言っているのではない」と言いつつ、結局は「手間をかけてない『楽』な子育ての中で、今母親たちはもがき苦しんでいるとは言えないだろうか」と語る矛盾。いすれにしても、〈この研究会がそう思った〉というだけのお説ですので、真に受ける必要はどこにもないのですが。

 子どもが〈赤ちゃん〉でいる時間は本当に短く、その限りある時間を豊かに過ごしてほしいという想いは伝わってきます。しかし、〈私たちの考える最高の育児〉が、母親たちの実情に沿っているかは別の話ですから、現代のスタンダートをやたらとディスられても迷惑千万。スマホ育児、ミルク育児、ベビーカー、ベビーフードetc……便利で楽なものの周辺に必ず現れる脅しトークは、見世物小屋の口上「親の因果が子に報い~」くらいの与太話として、BGM的に聞き流しておきましょう。

最終更新:2018/04/24 20:00
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