【連載】別れた夫にわが子を会わせる?

「父親は早く死んだらいい」ゴミ屋敷で3年間の家庭内別居の末、離婚した女性の壮絶体験

2018/03/13 15:00

夫が家にお金を入れてくれなくなり、毎日がギリギリだった

――3年間ずっとそういう生活が続くって、想像がつかないですが……。

 それこそ夫に放火されて、夫以外、焼死ということだってありうる状態でした。何をされるかわからないし不安なので、3人で固まって6畳間で寝ました。私と娘はシングルベッドで、息子はコタツでね。

――それに加えて、調停や裁判でのやりとりがあったんですね?

 同居しながらの離婚裁判とか調停って、本当に大変。裁判所には別の車で行き、裁判なり、調停なりを終えた後、同じ裁判所から出てきて、それぞれ別の車で移動するんです。それで、帰ってきたら、ずっと夫がいるわけ。気持ちが休まらない。

――離婚に至るまでの経緯を、お話しいただけますか?

 その年の12月。娘の受験が終わった後、近くにある法律事務所を訪問しました。20万円を支払って、弁護士に解決をお願いしたんです。目的は協議離婚の実現。だけど、夫の方が一枚上手でした。というのも、夫は保険会社のトラブル対応係で、のらりくらりかわすのが上手なんです。裁判所での振る舞い方も心得ている。それで、私がお願いした弁護士も、まんまとやられました。

――どういうことですか?

 先ほど「家にはお金を入れてくれなくなった」と話しましたが、弁護士は夫との間で「毎月15万円を振り込む」と取り決めてくれたものの、振り込み先が彼の通帳になっていたんです。夫は家に生活費を入れているふりをして、全部自分で使っていました。だから、私と子ども2人は、私の収入(手取り14万円)だけで暮らすしかなかった。

――よく飢え死にしなかったですね。

 家のローンは終わってましたが、本当に毎日がギリギリでした。それで途中、もうダメだと思って、夫に「離婚してください」と土下座したこともあります。すると、夫に鼻で笑われました。そして、椅子に座ったまま足をぶらぶらさせて、「弁護士の先生に聞いてみないとね~」って、バカにしたように言うんですよ。

――よく心が折れませんでしたね。

 いえ、とっくに折れてますよ。ストレスまみれ。精神安定剤をどれだけ飲んでたか。その日、娘が手を握って一緒に寝てくれなかったら、たぶん一睡もできなかったと思う。その頃はほんときつくて、夫が出勤していなくなると、ひたすら皿を割りまくりました。破片が飛び散らないよう、段ボールの中でね。あとは職場の仲間ですね。看護師仲間とバカを言い合ったりすることで、気分転換ができた。

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