【連載】別れた夫にわが子を会わせる?

「父親は早く死んだらいい」ゴミ屋敷で3年間の家庭内別居の末、離婚した女性の壮絶体験

2018/03/13 15:00

家庭内別居で、夫の居場所はゴミ屋敷状態

――その後の同居生活は、どうなったんですか?

 連帯保証人になると夫が言いだしてケンカになった後、半年以上波風を立てないよう普段通りにしていました。というのも、娘の大学受験が終わるのが、その年の12月だったからです。ただ、そういう事情を夫は知りません。だから5月以降、いきなり家庭内別居状態となりました。

――それぞれ、どこに住んでいたんですか?

夫は1階のダイニング(15畳)と2階の4部屋のうち3部屋。私たち3人は、1階の6畳間に固まって住みました。娘は私とずっと一緒に6畳間にいて、受験勉強もコタツでずっとやってました。

――旦那さんとの会話は?

 まったくありません。何か不満があって、私が直接言ったら「弁護士を通してください」って言われておしまい。同じ家にはいるんだけど、何から何まで別でした。洗濯機の洗剤とか、そのうちティッシュペーパーまで別にするようになりました。トイレはさすがに共用。だから私が結局、掃除してました。

――一緒の家にいて、攻撃したりされたりはしなかったんですか?

 トイレのドアにヘアクリームが塗りたくられてたり、髪の毛を切ったものを風呂場にまかれたりと、夫からの嫌がらせが続きました。だけど一番こたえたのは、ダイニングにある大型液晶テレビ(52インチ)の音を最大限で、しかも部屋の照明を完全に落としてのシアターモードで、夫が見ていたってこと。しかもダイニングはモノで埋まってた。ペットボトルや空き缶、各世代のデスクトップパソコン5~6台。彼の大学時代のテキストすべてとか。6畳間とキッチン以外はゴミ屋敷状態でした。

――食事は、どうされていたんですか?

 鶏肉を2キロとか買ってきて、チャーハンと唐揚げと鶏チリ、鶏の南蛮煮、鶏シュウマイを作ったり。ミンチを何キロも買ってハンバーグを10個とか、まとめて作ったり。食費はひとり一食100円と切り詰めました。そのとき夫は事実上、お金を入れてくれなくなってたから。

――真っ暗な中、料理は旦那さんがいる前を運ぶわけですね。

 それでもね、ダイニングにいてくれたら、まだよかったですよ。夫がいたのはキッチンとダイニングの間なんです。彼が在宅中はずっとそこにいるんだけど、「通るよ」という言葉のやりとりすら、その頃はなくなってて。彼が陣取ってると、事実上キッチンは使えない状態だったの。夫は何を食べてたかって? お弁当とか買って食べていたみたい。

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