仁科友里の「女のための有名人深読み週報」

藤原紀香、ブログに見つけた“紀香らしからぬ一文”――「商品価値の下落」漂う危険な兆候

2018/01/18 21:00

紀香が演じるべき“藤原紀香”ではない

 そんな紀香が、1月10日に書いたブログ「デキる男、デキる女は」が話題を呼んだ。紀香いわく、今まで出会ったデキる男、デキる女は「即レス、即断即決」。「また決めますね、なんてずーと待たされ、結局、放置されて忘れられたり」したことがあったので、「今年、そんな方とは仕事をしないことにした」そうだ。

 こういう紀香は、紀香が演じるべき“藤原紀香”ではないと私は思う。内容がネガティブ寄りだからではない。紀香は気づいていないだろうが、このブログは、紀香の商品価値の下落をほのめかしているともいえるからだ。

 紀香が仕事相手に対する落胆を漏らしたのは、今回が初めてではない。15年に、「とある編集の方」にボランティアに使う写真の元画像を頼んだが、「返事がなく音信不通」「最悪は、御縁の清算も仕方がない」とつづっている。紀香の立場で考えると、「誠意を持って付き合ってきたのに、なぜ突然こんな目に遭うの?」ということだろう。

 しかし、頼まれた編集者の立場で考えてみたら、どうだろうか。「ボランティアに使う写真の元画像を手配する」のは、恐らく無償だろう。だとすると、日ごろの業務で手一杯なのに、報酬のない仕事を引き受けなければならないことになる。

 ここで問題になるのが、紀香の“商品価値”なのだ。紀香が編集者及びその出版社にとって重要な人物であれば、たとえ無償であろうと全面協力してもらえるだろう。画像を手配してもらえないのは、紀香がそこまで重要な人物ではない、連絡が取れないというのは、婉曲なお断りの可能性もあるわけだ。

 デキる男、デキる女論についても同様である。職位に応じて、仕事には権限が与えられている。職位が上の方が、権限は大きいというのは、言うまでもない。その昔、松田聖子が所属していたサンミュージックの会長は、聖子より先輩のタレントがいたにもかかわらず、365日中360日、聖子と一緒にいたと、週刊誌のインタビューで読んだことがある。これは商品価値が高い芸能人のそばには、大きな権限を持つ人がぴったり付くという典型例ではないだろうか。即断即決ができないのは、本人の性格の問題というよりも、紀香の周囲に、権限のある人が少なくなっているという見方もできなくはないのだ。

 こんな紀香は、“藤原紀香”ではない。そう思っているところに、「スポーツニッポン」が、紀香の近況について報じた。午前4~5時に起床し、6時に着付けをして、劇場に向かう日々。合間に書道、陶芸、生け花など日本の伝統文化について学ぶなど多忙な日々を過ごすが、「劇場にはいろんな方がいて、女優業に大事な人間観察ができる」「藤原紀香という人間力を高めたい」という調子で、相変わらずのワナビー全開である。話のオチが妙にでっかくなるのも、紀香の特徴である。やっぱり紀香はこうじゃなきゃ。紀香、今年も頑張って。

最終更新:2018/01/18 21:00
紀香バディ!
“藤原紀香”を演じることにおいては大女優といってもいい
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