ダメになるとわかっていても…

同じ相手と結婚・離婚を繰り返すセレブ5組! 4日で入籍、41日で破局も……

2017/06/25 21:00

エミネムとキンバリー・アン・スコット

DETROIT, MI - NOVEMBER 06:  Special guest Eminem performs during the Big Sean concert in his hometown of Detroit at Joe Louis Arena on November 6, 2015 in Detroit, Michigan.  (Photo by Scott Legato/Getty Images)
ヘイリーちゃん超かわいいよね、お父さん

エミネムとキム・スコット

 全米有数の犯罪多発都市デトロイトのホワイト・トラッシュとして、壮絶な子ども時代を送ってきたエミネム。彼の母親は15歳で学校を中退し、17歳でエミネムを出産した。エミネムの父親とは1年で離婚しシングルマザーになったが、学歴がないためろくな仕事につけず、アルコール依存症で薬物中毒のまま男を取っ替え引っ替えし、住まいも転々としながらエミネムを育てた。暗い性格のいじめられっ子で孤独だったエミネムは、母親の弟が聞かせてくれたヒップホップに夢中になり、ラップにのめり込む。リリックを書きまくり、ラップ・バトルでのし上がり、黒人主流のヒップホップ界において白人ラッパーとして圧倒的な地位を確立。ラップの神様と呼ばれるまでになった。

 そんな母親に育てられたエミネムは、女を冷めた目で見ており、冷酷な性格だともいわれている。そんな彼にも運命の女性がいた。キムことキンバリー・アン・スコットである。

 87年、エミネムが15歳、キムが13歳の時に2人は出会い、恋に落ちた。キムもまた複雑な家庭環境で育ち、家から追い出されることが多い不幸な少女だった。付き合い出して間もなく、キムは双子の姉を連れてエミネムの家に転がり込み、居候生活を開始。母親と険悪な関係になっていくエミネムを精神的に支え、ラッパーとして成功を目指す彼を応援してくれる、大事な存在となっていった。

 95年にはキムが妊娠し、クリスマスに娘ヘイリーを出産。エミネムは大喜びし「娘には自分のような不安定で貧しい暮らしはさせたくない」と、金のために週60時間働くようになった。だが、キムは初めての子育てで精神的に不安定になり、エミネムと顔を合わせれば衝突するようになる。関係は着々と悪化し、96年には別れてしまった。娘と引き裂かれたと感じたエミネムは激怒し、スリム・シェイディという暴力的な人格を形成。この頃、キムを殺して死体を池に沈めるという過激なリリックの「‘97 Bonnie and Clyde」をレコーディングした。

 その後、「ヘイリーのためにも両親が揃っていたほうがよい」と、エミネムはキムと復縁。名プロデューサー、ドクター・ドレーのレーベルと契約し安定した収入を得たことから、99年に結婚した。同年、デビューアルバム『ザ・スリム・シェイディ』をリリース。結婚してすぐツアーをスタートさせたエミネムは、大勢のファンに崇められ、グルーピーから後腐れのないセックスを求められる状況に有頂天になり、自分に意見するキムを罵倒するようになる。同時にキムへの執着を強め、00年6月、クラブでキムが頬にキスをした男を浮気相手だと思い込んで暴力をふるい、警察沙汰に。2年間の保護観察に処された。7月にはキムが見に来たデトロイト・コンサートでキムを殺す曲「Kim」を披露し、キムに見立てたダッチワイフを暴行。ショックを受けたキムは帰宅後、自殺未遂騒ぎを起こしたが、エミネムは彼女を気使うでもなく「浮気女のくせに」と離婚を申請。その後いったんは復縁したが、うまくいくわけもなく、翌年正式に離婚した。

 2人は愛娘ヘイリーの親権を共同で持つことで合意。娘を通して頻繁に顔を合わせていたため、ほどなくしてくっついたり離れたりを繰り返すように。エミネムは02年に音楽誌「ローリング・ストーン」のインタビューで「また結婚するくらいなら、チンコから出産するほうがマシ」と言っていたが、06年にキムと再婚する。結局のところ、エミネムはキムのことを「運命の女性」「自分のルーツを知る女性」だと大事にしているのだ。

 06年1月、エミネムはキムに「15年前に付き合い出した記念日に再婚しよう」とプロポーズする。キムは喜んだが、うまくはいかないだろうと考え、「式は挙げたいけど、書類にはサインしないほうがいいんじゃない?」と提案。エミネムは「今度こそはうまくいく」と断言し、法的に夫婦になる手続きをした。だが不幸にもキムの読みは当たってしまい、結婚41日目にエミネムは彼女の元を去り、4月に離婚を申請。2度目の結婚生活は、あっけなく終わってしまった。

キムいわく「エミネムは母親に愛されなかったから、女性にどう愛情表現すればいいかわからない」が、「父親としては最高」という。実際、エミネムは責任感の強い父親として知られており、キムの双子の姉が薬物過剰摂取で亡くなった後、その娘を正式に養子として迎え、ヘイリーと姉妹のように育てた。ほかにも、キムが最初の離婚後に交際した男性との間にもうけた娘も、我が子同然に面倒を見てきた。エミネムとキムは、今もくっついたり離れたりしているとうわさされているが、2人とも3度目の結婚はないと断言している。

■エリザベス・テイラーとリチャード・バートン

 11年に79年の生涯を閉じるまで、8回の結婚・離婚を繰り返したエリザベス・テイラー。“20世紀のクレオパトラ”と呼ばれた、最高級のハリウッド女優だった彼女は「愛した男とは必ず結婚する」をモットーにしていたが、中でもリチャード・バートンとの愛はハリウッド史上最も激しいものだったと語り継がれている。

 エリザベスは、1950年5月にヒルトンホテル創設者の御曹司コンラッド・ヒルトン・ジュニアと結婚。子役としてハリウッドでチヤホヤされていた彼女は18歳で玉の輿にのり、3カ月にわたる新婚旅行などで話題を振りまいた。ただコンラッドは、うなるほど金を持っているが、アルコール、ギャンブル、ヘロイン依存にDV気質を持つ最悪な男で、耐えられなくなって翌年2月に離婚。1年後、離婚の傷を癒やしてくれた20歳年上のイギリス人俳優マイケル・ワイルディングと結婚する。穏やかな結婚生活を送り、2人の息子をもうけたが、映画プロデューサーのマイク・トッドを好きになってしまい、「善は急げ」と離婚を申請。マイケルには事後報告だったが、彼は「君はそういう人だから」「仕方ないね」と了承した。

 離婚が成立した翌月の1957年2月、エリザベスはマイクと結婚。婚約指輪は29.4カラットのダイヤモンド・リングで、彼女は幸せいっぱいの結婚生活を満喫し、娘も誕生した。しかしわずか1年後、飛行機事故でマイクは死去。悲しみのどん底に堕ちた彼女を、親友デビー・レイノルズの夫で歌手のエディ・フィッシャーが慰めてくれるようになり、ほどなくして2人は不倫関係に陥る。エディはデビーと離婚し、息子と娘(キャリー・フィッシャー)を捨てて59年5月にエリザベスと結婚。世間から大バッシングされた。

 そしてこの結婚生活のさなか、エリザベスはリチャード・バートンと出会ってしまう。

 2人は、エリザベスの代表作となる名作『クレオパトラ』で共演。女慣れして堂々とした彼に、エリザベスはぞっこんになってしまう。リチャードも彼女の美しさの虜になり、2人はW不倫の道をひた走る。「愛する=結婚」の方程式を持つエリザベスは、エディとの離婚をさっさと申請。リチャードも妻と無事離婚し、エリザベスの離婚が成立した64年3月、2人は結婚した。

 リチャードは、100万ドル(約1億円)のダイヤモンド・ネックレスや、33.19カラットのダイヤモンド・リングをプレゼントするなど、エリザベスを甘やかした。『予期せぬ出来事』『じゃじゃ馬ならし』など映画でも共演し、女優としても成長させてくれた。しかし、穏やかな日々は長くは続かない。2人は揃ってアルコール依存の問題を抱えており、四六時中口喧嘩するようになる。喧嘩してはセックスで仲直りする生活を続けていたが、10年目にリチャードが共演女優と浮気したことでエリザベスは離婚を決意した。

 74年6月に離婚は成立するが、翌年夏、資産の話し合いをするために会った2人は、激しく求め合い、離れられなくなってしまう。互いにこの愛は本物だと確信し、8月に復縁宣言。10月には再び婚姻関係を結んだ。だが結局のところ、2度目の結婚から数週間後には再び、喧嘩とセックスの繰り返しに陥ってしまう。嫌気がさした2人は別々の寝室で寝るようになり、リチャードの浮気が本気になった76年8月、離婚した。

 4カ月後、エリザベスは政治家のジョン・ワーナーと結婚し、今度は議員の夫を支える妻となった。しかしこの生活は彼女には不向きだったようで、ストレスから過食に走り激太り。うつ状態になってリハビリ施設に入所するなど、心身共に最悪な状態になってしまった。結局、この結婚生活も6年で終わりを迎える。

 ジョンとの離婚が成立する前年、50歳の誕生日パーティーに、エリザベスはなんとリチャードを招待した。いちゃつく様子を披露し、「またもや復縁か!?」とうわさされるようになる。2人は83年に演劇『Private Lives』で舞台共演を果たすが、エリザベスは再び酒浸りになって、公演に穴を開けてしまった。仕事をきちんとこなせない女は嫌いだといわんばかりに、彼は若いアシスタントの女性と結婚。そして翌年、58歳で病死してしまった。

 運命の相手の急死に打ちひしがれたエリザベスだったが、91年10月、アルコール依存症のリハビリ施設で出会った20歳年下の土木作業員ラリー・フォーテンスキーと突然結婚。どことなく若い頃のリチャードに似ていると囁かれたが、結局5年で離婚してしまった。

 恋多き往年の大女優として名高かったエリザベスの晩年は、心臓病で入退院を繰り返す生活となる。11年、4人の子どもたちに看取られ、息を引き取った。

最終更新:2017/06/25 21:00
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