『きらめく拍手の音』イギル・ボラ監督インタビュー

「障害者はテレビで利用されている」ろう者の両親を持つ韓国映画監督が語る、障害者問題

2017/06/06 15:00
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イギル・ボラ監督

 耳の不自由な両親が「かわいそう」という目で世間から見られることに、ずっと違和感を覚えていたというイギル・ボラ監督。娘である監督は、両親を、そうしたイメージとはかけ離れた、家族を愛し、人生を楽しんで生きている夫婦として、ドキュメンタリー映画『きらめく拍手の音』でイキイキと映し出した。ボラ監督から見た両親の歴史、自身のルーツ、映画を通して伝えたいことから、韓国の障害者問題までを伺った。

■私の両親は「かわいそうな人」ではないことを伝えたい

――映画『きらめく拍手の音』で、ご両親の歴史をインタビューして、どんな気持ちになりましたか? 知らないことも多かったのでしょうか?

イギル・ボラ監督(以下、ボラ監督) 両親の出会いのことは、この映画を撮るまで知らなかったです。父が母に恋煩いをしていたこと、蜂の群れが花に集まるように、母のもとに男性たちが集まってきたことなどのエピソードを聞くのは楽しかったですね(笑)。両親はそれをすべて手話で語るので、情景が目に浮かぶのです。この2人から私が生まれたのだと、自分のルーツを探る旅にもなりました。私の名前イギル・ボラは、父の姓であるボラ、母の姓であるギルをミックスさせた名前です。普通、子どもは父の姓を名乗るので、イ・ボラとなるのですが、私は2人の影響を受けていますから、母の名字も加えてイギル・ボラと名乗っています。

――耳の不自由な人たちへの周囲の見方に対して疑問に感じていたそうですが、それにはどんなきっかけがあったのでしょう。

ボラ監督 私は耳が聞こえるので、両親と一緒にいるときは自然と通訳をすることになります。そのときに接する人の反応がさまざまなのです。とても驚かれる人もいますし、慌てる方もいますし、同情して哀れんでお金を包んで渡そうとする方もいます。そういう反応を見るたびに、「そうじゃないのに」といつも思っていました。両親は変わっていないし、かわいそうでもない。ただみんなと違う言語で生活しているだけなのです。だから私の大好きなドキュメンタリー映画で、うちの両親の本当の姿、幸福であることを伝えようと思ったのです。

――取材対象がご両親なのは大変でしたか? 家族だからこそ聞ける話もありますよね。

ボラ監督 確かにインサイダーとして撮影できたことは長所ですが、近すぎて距離感が難しかったです。あとスタッフは私ひとりなので、インタビューと撮影を同時にやらないといけない。そうすると、両親と手話で会話ができなくなるんです。カメラを回しながら手話をすることができなくて……。それは、面白くもあり大変なことでした。手話スタッフが必要でしたね。

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