[女性誌速攻レビュー]「婦人公論」3月28日号

「介護」で母親との関係を清算し、復讐を果たそうとする娘たち……「婦人公論」の介護特集

2017/03/23 18:00

 10代で家を出て自活するほど実母と折り合いが悪かったという光代氏。「人にやってもらって当然」という実母の性格から、2人の老女が同居となると「自分は何もせずに、お義母さんを頼って依存する。そんな光景が容易に目に浮かびます」。結局、義母は環境のいい施設へ入り、体調も回復。人生の最期を趣味に使い、3年後に他界。ちなみに実母は健在で「いい歳をして、いまだに母子ケンカをすることも。だから正直、一緒に暮らすのはしんどいです」。

 関係が良好な義母は施設へ。一方仲の良くない実母は自宅へ。そこには他人の預かり知らぬ事情があるのでしょう。子どもが抱えざるを得ない大きな荷物――捨てきれない血縁関係とでも申しましょうか、その深刻さを感じて少し怖くなったのも事実。血縁関係のない義母に対しては「どのような最期が最も本人にとって心地よいか」を俯瞰で見られるのに、実母には「母も施設で暮らしたほうが幸せかな、と感じるときもあり」ながら、その一歩が踏み出せない。それは若いうちに家を出てしまった贖罪なのか、自分の助けなしには生きていけない母親への復讐なのか。一口に介護といっても、そこには平均化できないたくさんの「ノイズ」があるように思います。

■「反抗期」ではなく「過渡期」

 そんなことを考えたのは、こちらの読者体験手記「私は介護をしません!」を読んだからかも。「幼い頃、弟ばかりを可愛がった母とは深い溝が。今さらのご機嫌うかがいに対して、復讐心に燃えた私が取った行動は」は、タイトルそのまま。かわいがっていたはずの弟との同居に疲弊し、急に自分を頼ってくるようになった母親の「面倒をみてほしい」という思いを、あえてスルーする娘。「自分の性格では、老人ホームに入ったとたん他の入居者から嫌われる者になることを、母は知っている。その姿を見るのが楽しみなのだ」「単に親孝行を望むのではなく、親孝行をしてもらえるような人間になるのが大切なのではないだろうか」と、厳しい物言いで母親を断罪します。これもまた介護の現実。

 それまでの親子関係の歴史をすべてなかったことにして「子どもだから親を看るのが当たり前」とするのは、あまりにも酷な話です。そう考えると「育児」から介護は始まっているのかも……。読者体験手記に出てきた母親ははたして「弟ばかり可愛がっていた」自覚はあったのか、娘にそんなふうに思わせてしまった原因はなんなのか。

 続いては、内村周子と杉山芙沙子の対談「世界一を育てるためには『待つ』ことが大切です」。え? 誰? とお思いの貴方、体操の内村航平とテニスの杉山愛の母親たち……と言った方がわかりやすいですよね。子どもを世界的スポーツ選手に育てた2人の母が「世界一を育てる思考と行動」をテーマに語り合っています。

 「子どもは人生の中で優先順位1番。もう愛して愛して、子どもがしたいということをさせてあげたい」という内村母と、「私も、子どもは社会からの預かりものだと思って子育てをしました」という杉山母。スクールへの送り迎えはもちろん、ときに学校のルールとも戦いながら、子どもたちをサポートしてきたと話します。現在は、杉山母が中心となった設立した「ジャパンアスリートペアレンツアカデミー(JAPA)」(内村母も講師として参加)で、「子どもの能力を最大限に伸ばしたい」と願う親たちのサポートに回っているそう。

 興味深かったのは、子どもの「反抗期」について。「反抗期ではなく、『過渡期』だったのだととらえています」と杉山母。内村母は「応援に来るな」と息子から告げられるも「いいえ。『あなたを産んだのは私なのだから、そういうわけにはいかない。もし事故が起きたとき、見ていなかったでは済まないんだ』」と言い張り、結局息子が根負け。「勝ったと思いました」と内村母。「反抗」ではなく「過渡期」、思春期の息子に「勝った」……こんな表現にアスリート母たちの支配欲を感じずにはいられませんでした。

 自分の時間を全て捧げてきたという自負が、母親に「子どものことは自分が一番よくわかっている」という自信を与えるのでしょうか。読者体験手記のように、子どもが「介護」を前に親との関係に落とし前をつけようとするのは、「子どもの人生は自分の人生」と思い込む母親の悲しい性のせいかもしれません。
(西澤千央)

最終更新:2017/03/23 18:00
婦人公論 2017年 3/28 号 [雑誌]
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