映画レビュー[親子でもなく姉妹でもなく]

女が本当に好きなのは男ではない? 女同士の淡い同性愛感情を描く『小さいおうち』の幸福

2016/11/30 17:00

◎女の理想郷を支えるもの
 時子にしても、男を排し女のタキと寄り添うような場面がある。「男って厭ねえ。戦争と仕事の話ばかり」と同意を求めたり、うんと年上のバツ2男と見合いさせられて泣くタキを庇い、縁談を断ってやったり。家事や育児や細々とした用事に追われる日常生活を共にする中で、彼女が夫よりタキと心を通い合わせるのは当然だろう。

 タキは板倉のことが好きだったので、時子と板倉を逢わせたくなかったのだという解釈をネットで見たが、それは違うと思う。

 2人の絡みで印象に残るのは、板倉を紹介された時、タキが同じ東北出身とわかって親しみを覚えるシーンと、招集されたことを報告に来た板倉が平井邸を出た時に、「もし僕が死ぬとしたら、タキちゃんと奥さんを守るためだからね」と言って、「死んじゃいけません!」と叫んだタキを抱きしめるシーンの2つ。どちらにも“男女の色気”は感じられない。

 現代パートでも、時子と板倉の接近を回想する老いたタキに、大甥の健史が、おばあちゃんも板倉さんを好きだったんだ、三角関係だと指摘するが、タキは微塵も表情を変えず「想像力が貧困だね」と退ける。

 女2人に男1人といったら、女たちが男を取り合うという図しか思いつかず、女1人に男ともう1人の女が恋をするという想像ができないのを、「想像力が貧困」と言っているのだ。

 家父長制の当時、戦争も含めて近代化を急いだ日本社会は男だけの社会。そこで、家という限定的な領域でのみ、女と女の関係が築かれた。

 現代パートの最後の方でチラリと出てくる有名な絵本『ちいさいおうち』は、のどかな郊外がどんどん都市化、近代化していく経過を描き、その中にぽつんと取り残されたちいさいおうちが、最後にあるべき場所に戻ってきて息を吹き返すという物語である。男/女のメタファーで考えれば、なぜこの絵本が登場し、タイトルにも使われているのかよくわかる。男性的な力に支配される政治・経済圏とは別の幸福に満ちた女性的な親密圏が、時子とタキの「小さいおうち」なのだ。

 だが実際には、その女性的な親密圏(時子とタキの暮らし)は、男性的な経済圏(時子の夫の経済力とそれを支える男性社会)の恩恵を受けて成立していた。後者が戦争や経済危機で崩壊すれば、前者もなくなってしまう。女の理想郷である「小さいおうち」は、それ自体で自立しては存在できないものだった。

 その後、空襲で洋館は焼け、時子は夫とともに亡くなったが、田舎に帰されていたタキは生き延びて戦後を迎える。彼女が終生独身で通した理由は、明らかにはされていない。おそらく、「出征前の板倉に一目会いたい」という時子のたっての願いを、黙って勝手に潰してしまったという罪悪感は、長い間彼女の中に沈潜していたのだろう。ある美しい女性を愛し、彼女との蜜月を大切にしたいあまり小さな過ちを犯し、それを自分の中に「罪」として抱えて、タキは生涯を閉じた。

 夢のように過ぎていった美しい人との大切な思い出に、ポツリとついた小さなシミ。なぜあの時私は、最愛の女性の最後の望みを叶えてあげなかったのか? という老女の深い後悔と苦しみを思うと、せつなさに胸が締めつけられる。

大野左紀子(おおの・さきこ)
1959年生まれ。東京藝術大学美術学部彫刻科卒業。2002年までアーティスト活動を行う。現在は名古屋芸術大学、京都造形芸術大学非常勤講師。著書に『アーティスト症候群』(明治書院)『「女」が邪魔をする』(光文社)など。近著は『あなたたちはあちら、わたしはこちら』(大洋図書)。
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最終更新:2019/05/21 16:46
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