『溝口彰子×山本文子のBL進化論ナイト』レポート

BLが提示する、現実よりも寛容な社会――『溝口彰子×山本文子のBL進化論ナイト』レポート

2016/06/28 18:00
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左から溝口彰子氏、山本文子氏

■「BLに出会うのは業であり、血である」共感に沸く会場
 山本氏は、書店にBLの専門棚ができたことがBLの発展に大きく貢献し、これにより作り手の情熱が先走っていた状態に環境が追いついたと話す。「BLにちょっと興味はあるのだけれど」という層にとってBL専門書店は敷居が高すぎるし、そもそもBL専門書店といったものは池袋などごく少数しか存在しない。全国の大型書店の多くにBL専門棚ができたことはBL発展の大きな一歩だったのだろう。

 『このBLがやばい!』(宙出版)といったランキング本も年刊で発行されるなど、BLが紹介される機会は増えたが、一方で、「紹介されなくても、BLに出会う人は出会う。これは業であり、血です」と話す山本氏。BL愛好家の知人と「太古の世界でもマンモスを狩っている男たちが、ちょっと一休みして2人でしゃべっているのを、脇で火起こしながら(萌えつつ)見ていた女たちがいるはずで、自分たちはその血を引き継いでいる」と話したエピソードを紹介した。

 さらに、山本氏はBLを知る以前の小学生の頃に愛読していたシャーロック・ホームズシリーズで、ホームズが馬車の中でなぜかワトソンの膝に手を置くシーンが印象に残っていることや、ロボットアニメによくある男性4人、女性1人の編成を見て「あれ? この女の子、邪魔だな……」と思った記憶を挙げ、「やはり業なのだ」と話し、会場は共感で大きく沸いた。BLの存在を知る前から、性をはっきり意識しだす頃より前から、男性同士の関係性に惹かれてしまう感覚に心当たりのある女性は多いのだ。

■自分にとってBLとは何なのか

 『BL進化論』では過去におきた「やおい論争」など、BL趣味が対外的に、社会的にどのような遷移をたどったかについても触れられているが、個人的にBLは心の中にある1人でいても安心できる小部屋のようなもののため、大切な場所に波風は立ってほしくない。なので、論争や議論がこの文化をよきものとするためになされたように私には読めてしまい、そこには疑問を感じた。そしてこの感情はカミングアウトするかどうかのスタンスに似ていると感じた。

 著者の溝口さんはレズビアンであり、BL作品群を読み思春期を過ごしたことで、自分がレズビアンであることを受け入れられた、と本著の冒頭にもある。ただ、カミングアウトすることで楽になる人もいれば、隠すことによって楽でいられる人もいる。隠すことは隠さないことよりも劣ったことではなく、どちらの楽さも等しく大事なものであると思う。一方、自分の愛する文化はこのような歴史をたどっていったのか、という断片しか知らなかったBLの歴史が、本書でつづられる気の遠くなるような考察によって、頭の中で線に、面になっていくのは気持ちがよかった。

 イベントの最後には山本氏が「(BLというジャンルが)こんなに大きくなって……」と感慨を漏らし、また、今後はここまで大きくなったBLジャンルの評論本がもっと出てきてほしいこと、そして山本氏自身は雑誌ができては廃刊する90年代頃のBL事情については話せるが、いま、現役でBLを読んでいる人(山本氏も現役だが)はどう思ってBLを読んでいるかもとても知りたいと話した。1000人BL愛好家がいれば、愛し方はおそらく1000通りある。

 『BL進化論』においても、溝口氏が“自分にとってBLとは何なのか”を明確にしている。それがこの本の特徴でもあり魅力で、BL嗜好のあるあらゆる人にとって、「じゃあ、自分にとってBLとは何なのか?」を考えさせられる一冊になっている。
(石徹白未亜)

最終更新:2016/06/28 18:00
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