映画レビュー[親子でもなく姉妹でもなく]

孤独な中年女と若く奔放な娘――男を葬り去る女たちの『女と女と井戸の中』

2016/03/31 23:30

◎甘美な時間は愚かだったのか?

 キャサリンが金を盗んだのではないかと疑いつつも、「井戸の中のお金をあげる。大切なのはあなた。あなたは私のすべて」と涙ながらに訴えるヘクター。釣られて泣き出すキャサリンは、愛される感動に一瞬だけ浸ったのだろうか、それともそれも芝居だったのだろうか。いずれにせよ、大金を手にトンズラするという大勝負に賭けている彼女にとって、ヘクターはすでに用済みの女となっている。

 不安と疑惑に苛まれつつ眠るヘクターが見る夢には、まさに彼女の怖れと欲望が浮かび上がる。長い三つ編みで椅子に縛り付けられた自分。金の一部を包んでいた黄色い毛糸の帽子(ヘクターの少女時代の帽子も黄色)を被り、自分がプレゼントした黄色いドレスを着て戸口に立つキャサリン。ブルーがかったひんやりしたトーンが支配するこの作品の中で、そこだけ鮮やかな黄色は、ヘクターが手に入れようとして入れられなかったものを表す。

 最後、壊れた井戸の蓋は直されて、女2人の関係は終わる。井戸を封印するのは何も知らないボーデーン氏。ヘクターの心の奥底にある鬱屈した同性愛感情に蓋をするのが、異性愛者の男であるところは皮肉だ。

 一方若い女は、歳を取った女から容赦なくかすめ取って去っていく。だがキャサリンを責める気になれないのは何故だろう。持てる者からはさっさと頂戴する彼女の、動物的本能に突き動かされたようなシンプルな振る舞いはいっそ清々しい。

 一本道を放心して歩くヘクターを車で拾うのは、ボーデーン氏の妻である。車内に満載の子どもたちは、切り売りされて富を増やす土地の象徴であり、男女の生殖活動、「家」の証だ。何もかも失ったヘクターの顔を、未来が待ち受ける子どもたちが覗き込んでいる残酷な対比に打ちのめされる。

 「家にまつわる重苦しい過去」から逃げて、「同性同士の甘美な現在」を手に入れようとしたヘクターは、最終的に破綻した。束の間の愛の輝きのための代償は大きかった。

 ハリーの言うように土地を売らず、地道に倹約して生活していたらこんなことにはならなかったんじゃないか? そうかもしれない。でもそういう生き方では彼女は、生の実感を取り戻すことができなかったのだ。父を葬り去り自由を手に入れる、それこそ、彼女が長年心の井戸に閉じ込めてきた願望だったのだから。車に揺られるヘクターの静かな微笑みに、後悔の色が微塵も見られないのは救いである。

大野左紀子(おおの・さきこ)
1959年生まれ。東京藝術大学美術学部彫刻家卒業。2002年までアーティスト活動を行う。現在は名古屋芸術大学、京都造形芸術大学非常勤講師。著書に『アーティスト症候群』(明治書院)『「女」が邪魔をする』(光文社)など。近著は『あなたたちはあちら、わたしはこちら』(大洋図書)。
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最終更新:2019/05/21 16:52
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