[ジョニーの小部屋]番外編

SMAPを支えた功労者、ファンが見た“神対応”……退社した飯島さんとSMAPのこれまで

2016/03/17 20:00

――その後、1年間の練習期間を経て、91年9月に「Can’t Stop!! ‐LOVING‐」でCDデビューを果たしたSMAPでしたが、デビュー曲はまさかの2位。出す曲は必ず初登場1位に輝くというジャニーズ事務所の慣例を崩してしまったのも、彼らが初でした。

ジョニー 「YOUたち、なんで2位なんだ!?」って、思わず激怒しちゃったからネ。西武園ゆうえんちやこどもの国で握手会開いても、たいしてファンが集まらなくてサ。地方のカラオケ大会ばりに、ステージに紅白幕を掛けてた会場もあって、さすがにあれはシビれたなぁ。ライブでもファンが数えるほどしかいなくて、メンバーも「ファンの顔と名前、全員わかる」って自虐トークしてたしネ。

ミッチー しかも、当初はマネジャーがいなくて電車移動だったうえに、小学生だった(香取)慎吾がスケジュールの連絡係をしてたんです。携帯電話なんてなかったから、ランドセル背負ったまま事務所に来て、みんなに電話して……って、そんな様子を見るに見かねて、私がお世話係みたいな形でついたのが始まりでしたね。フツーの小学生ならまだしも、慎吾は完全に野生児だったから、余計に放っておけなかったんですよ。

ジョニー おなかすいたからって、その辺に生えてる雑草にマヨネーズつけて食べたり、ちょっと甘いからってアリをつまんで口に入れて舐めたりとか……フツーしないでしょ!? まぁ、その天真爛漫なところが慎吾の魅力でもあったんだけどネ。

――そんな香取くんに「協調性をつけさせたい」と思ったお母さんが、ジョニーズかボーイスカウトか迷って、ジョニーズに応募したらしいですね。まさに習い事感覚(笑)。

ジョニー まぁ、6人の中では森且行が一番アイドルらしかったかな。中居正広は当時も現役で田舎のヤンキー兄ちゃんだったし、木村拓哉はナイフのようにとんがってあちこちでケンカ売ってたし、稲垣吾郎は甘えん坊の箱入り息子で、ダンスもヘタで空気読めないタイプだったし、草なぎ剛はバック転だけが取り柄のオタクで何考えてるかわかんなかったし……。デビューさせたはいいけど、これは売れないかもなぁって考えてたとき、ふと目に止まったのがミッチーだったんだよネ。衣装も支給されない彼らのために、光GENJIのお古の衣装に徹夜でスパンコール縫い付けてくれてるミッチーの姿を見てサ、「ああ、こういうママみたいな存在がいてもいいのかな」って。

――なんだかんだいって、体良く押し付けただけなんじゃ……。まあ、その後も曲は全然売れないまま、「歌って踊れるアイドル」としてはやや不良品気味の彼らでしたが、国民的スターの座を射止める足掛かりとなったのは、バラエティ番組『夢がMORI MORI』(フジテレビ系)への出演でしたね。

ミッチー 芸人さんみたいな面白さはありませんでしたけど、個性はそれぞれはっきりしてたんですよね。女性でも森口博子さんや山瀬まみさん、井森美幸さんみたいなバラドルが活躍し始めていた頃でしたし、「アイドルがバラエティやるって面白いかも!」と、事務所に提案したんです。当時はジョニーズといえばまさに「白馬に乗った王子様」で、トイレも行かない……みたいなイメージでしたからメリーさんは大反対でしたけど、味方して説得してくれたのがジョニーさんでした。だから、SMAPをバラエティで開花させた真の功労者はジョニーさんなんですよ。

ジョニー いやぁ、照れるなぁ。

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『SMAP×SMAP COMPLETE BOOK 月刊スマスマ新聞 VOL.5~ GREEN~ (TOKYO NEWS MOOK 305号)』
あくまでフィクションです♪
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