女による女子アナ論

女子アナの“自然体”に潜む自意識の暴走! 2015年「女心をざわつかせた」女子アナベスト3 

2015/12/31 21:00

【総評】
 自然体という印象を与えるには、本当に自然体である必要はなく、初期段階で「私は皆さんより、下です」といかに印象づけられるかにかかっているのではないか。

 例えば、水卜アナはアイドルとの熱愛が報じられたが、バッシングされることはなかった。思うに、これは熱愛騒動がすぐに鎮火したことと、水卜アナが「大食いキャラ」であることで難を逃れたのではないか。現代社会では、痩せているほど美しいという価値観があり、美を売り物にする女子アナたちは、当然スリムである。にもかかわらず、がんがん食って太っていく水卜アナの姿は、世の女性に「自分に不利益なことをする=計算高くない」という安心感を与えたように思うのだ。

 NHKの有働由美子アナも同様である。独身自虐を女子アナ界に持ち込んだ元祖サバサバ売りで人気を博すが、有働アナについてのニュースはほとんどが「脱ぐこと」であることを、善良な視聴者は気づいていない。『紅白歌合戦』の話題となると、毎年「今年は脱がない」と宣言し、実際は露出度高めという“狼少年アナウンサー”となりつつある有働アナ。むせかえるような女としての自意識を感じさせるが、年季の入った自虐芝居に視聴者イチコロである。

 ちなみに2015年、私がもっとも「自然体」だと思ったのは、三田友梨佳アナ(フジテレビ)である。『直撃LIVEグッディ!』において、1カ月間、モノを食べない「不食」の話題について取り上げた際、三田アナは「私もやったことがあります!」と発言。安藤優子に「どうだった?」と聞かれ、「1日でやめちゃいました」と破壊力のあるオチを披露したのである。“自然体”とは、ありのままという意味だが、視聴者が求める“自然体”ではないことは明らか。高い自意識を高い演技力で消し、意図的に哀れみまで稼ぐ。視聴者に“自然体”と思われるために必要なのは、「極度に鈍感」か「緻密に陰険」のどちらかである。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。最新刊は『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)。
ブログ「もさ子の女たるもの

最終更新:2015/12/31 21:00
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「女子アナを志す」という時点で、すでに匂ってくるから!
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