[女性誌速攻レビュー]「婦人公論」5月26日号

「婦人公論」に黒柳徹子が登場、終活・断捨離を軽やかに飛び越える死生観

2015/05/22 17:00

 年をとったらこうあらねばならない……誰も多かれ少なかれ“老人のあるべき姿”をイメージしているものではないでしょうか。欲望はいい感じに枯れ、いつも慈愛に満ちた笑顔で過ごし、くる日もくる日もぽたぽた焼きを焼いているような。家族に社会にできるだけ迷惑をかけず、静かに死んでいくような。そんな中“生きてるときに死んだ後のことまで考えられな~い”という徹子の欲望は、それらおばあちゃん像に真っ向から対抗するものです。

 しかし、だからこそ「ジャニーズでもポール・マッカートニーでも、素敵なコンサートに行くと、もう、血管の中を血がチャッポンチャッポン流れていく。そういう状態というのは、細胞が活性化されて、体にすごくいいのではないかと思うのです」という徹子の言葉は他意なく受け取れるというもの。これ、森光子あたりが言うといろいろ勘ぐりたくなってしまいますが、徹子がいうと、ただただ“チャッポンチャッポンしてんだろうな”以外に感想を持ちません。

 まだ見ぬ老後の自分に怯え、年金支給額に怯え、結婚しない我が子に怯え、不確定の未来に対して怯えまくる中高年に、1,000万円の老後貯金と家財道具の断捨離を勧めてきた「婦人公論」。この“終活、しない、しない、徹子”の登場は、貯めると捨てるに囚われた中高年の心にどう響くのでしょうか。

永遠に埋まらない溝

 巻末の小特集は「今も母に縛られて」。「婦人公論」では何度も取り上げられている、いわゆる“毒母”の物語です。

 長年母との関係に苦しんだというエッセイスト・安藤和津とノンフィクション作家・吉永みち子の対談「どんなに逃げようとしても、振り向けば“影”がそこにある」、漫画家・田房永子の体験ルポ&漫画「“親からの解放”はセラピー行脚の果てに」など、読み応え十分の記事が並びます。しかし今回レビューでお伝えしたいのは、おおたわ史絵「体罰、虐待を繰り返し、最後は薬物依存に陥った母よ」、そして水沢アキ「子どもたちに嫌われても、わが子育てに悔いなし!」です。おおたわは娘としての立場、水沢は親としての立場で母と娘/息子を語っています。

 「いつの日か誰かに母の話を聞いてもらいたいと思いつつも、存命中はすまいと決めていました」というおおたわ。彼女が語る母の記憶は強烈なものばかり。「せっかく可愛く産んであげたのに、ブスになった」と罵られ、帰りがちょっと遅くなっただけでタバコの火を押し付けられそうになったり、下剤入りミルクセーキを飲まされたり。さらに鎮痛剤による薬物中毒まで……。母が自宅のベッドで絶命しても、母娘の葛藤が終わることはないようです。それはおおたわの「これまでの人生は、母に褒められたくて、愛されたくて頑張ってきた(中略)同様に、母も愛がほしかったのですよね」「もっと素直な気持ちで母に接していたら何かが変わっていたかもしれません」という言葉に見て取れます。こんなに理不尽な母娘関係なのに、“私がもっとがんばれば”と自分を責めてしまう。

 水沢は、アメリカ人実業家との間に一男一女をもうけた女優。何不自由ない暮らしの中で「私は、女優・水沢アキとして生きていきたい」という思いは拭い去ることができず、シングルマザーとして2人の子どもを育ててきたといいます。しかしバブル末期、自ら不動産で背負った借金をひたすら返すだけの日々が、子どもたちとの距離をどんどん離していったと語る水沢。“生きるためには、がむしゃらに働くしかなかった母”と“一番甘えたい時期に、そばにいてくれない母を恨む子ども”のすれ違いの果てに、「女優という仕事柄、子どもたちには普通の何倍も素行がよくないといけないと考えていましたし。それに、シングルマザーとしてのプライドもあった。ちゃんと育っているところを世間様に示したかった」。水沢のこんな気持ちは子どもたちには理解はされず、結局2人とも水沢のもとから離れていってしまったようです。

 だけど水沢は信じることをやめません。絶縁状態の長男が「漏れ聞くところによると、息子はブロードウェイで役がついたようです。意地をはらず連絡してくればいいのに、なぜなら息子にとって、ブロードウェイの舞台に立つ自分の姿を世界でいちばん見てもらいたいのは、この私なの。仲良しの父親ではなく、同業者である母親のはずなんです」。

 “私がもっとがんばれば”と悔やむ娘と“意地をはらず連絡すればいいのに”と思い込む母。この当事者たちの悲しいまでの意識の差が、「今も母に縛られて」の要因なのかもしれません。
(西澤千央)

最終更新:2015/05/22 17:00
婦人公論 2015年 5/26 号 [雑誌]
行き倒れてもまだしゃべってそうだしね!
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