[官能小説レビュー]

『堕落男』が考えさせる、「男にとって“過去にセックスした女”とは何者なのか?」

2014/11/17 19:00

 リノ、クニカ、サナエ……3人の女たちに金を無心しようと渡り歩きながら、梶山は己の前にも後ろにも進めない堕落した人生に向かい合うのだ。

 ラストシーンで、梶山は死体となった歩美が取り残されたバー「エディシャス」へと帰る。その店名は“自殺”と和訳される「suicide」を逆さに呼んだもの。まるで彼は自殺へのカウントダウンをするように、過去の女たちを渡り歩いては金を無心し続けていったのだ――。

 筆者は、例えば夜を共にしたというだけの相手ならば、自分が死ぬ間際には思い返さないと思う。梶山が、窮地に追いやられた状態で過去の女を思い出したのは、つまり彼が彼女たちとセックスを介して、心もつながったと思っているからではないだろうか。そこに、「堕落男」梶山なりの誠実さが垣間見えるような気がした。そんな梶山を見ていると、できることならば、自分と体を重ねた男たちには、強く自分の足で歩んでいってほしいと感じたが、もしかしたらそれは女のエゴかとも思う。

 梶山のように、男が窮地に追いやられたときに頼るのは、やはり女なのだろうか。男は女と体を重ねると、その内側に印を付けてゆき、その印を頼りに生き続ける生き物なのかもしれない。
(いしいのりえ)

最終更新:2014/11/17 19:11
『堕落男(実業之日本社文庫)』
逃亡中に化粧水を購入してた、冷静すぎるのりピーを思い出した
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