[連載]悪女の履歴書

ママ友の子どもを殺めた“ママ”の実像――「音羽幼児殺害事件」から現代へ

2014/11/08 19:00

 みつ子は64年、静岡県大井川町で生まれた。家は兼業農家だったが、家族構成は複雑だった。祖父と後妻、叔父夫婦、みつ子と妹と両親が同居するという大家族。しかも実権を持つのは祖父の後妻で、みつ子の父親は前妻の子どもで後妻とは血が繋がっていない。家は跡取り問題をめぐり、いつも揉めていたという。村落の人間もドカドカと遠慮なく入ってくる生活。そのため、みつ子は大人の顔色を窺いながら幼少期を過ごした。

「周りの人に対して、自分のことでうわさにならないように、しっかりした良い子でいよう。優等生ではないといけない」(みつ子の供述より)

 だがみつ子の優等生ぶりは、時に同級生からは浮いて見えた。授業中に騒ぐ生徒がいると、「静かにしてください!」と何度も注意したり、「先生がいないと騒がしい」と先生との交換日記で告げ口をし、男子生徒から批判されたこともあった。あまりに融通の利かない“良い子”である。それを自らに課したみつ子は、人間関係がうまくいくはずもなく、孤立しがちで自分に自信を持てなくなっていた。周囲の目を過剰なまでに気にし、しかし硬直した正義感だけは振りかざす。融通が利かない真面目な少女象が浮かんでくる。容姿も絵に描いたような真面目で目立たず地味なものだったという。そんなみつ子は高校に入ると赤面恐怖症や、男性恐怖症の症状を発症した。

■摂食障害、自殺未遂に自らを追い詰める“規範”

 高校を卒業したみつ子は埼玉県の看護学科がある短大に進学する。ここでも真面目なみつ子は両親からの仕送りを断り、アルバイトで自活した。だがこの時期、みつ子はダイエットを始め、その後摂食障害まで引き起こしていくのだ。

 短大を卒業したみつ子は地元の大学付属病院に勤務した。しかしそれも1カ月ほどで辞めてしまう。ナースコールで呼ばれた患者が急死してしまったショックからだった。そしてみつ子はそのまま1年8カ月の間、実家に引きこもってしまう。その間、過食の症状が出て、太った自己嫌悪から自殺未遂まで起こしている。

 その後再び病院に再就職したみつ子だったが、ここでも優等生を演じた。勤務のない時には精神障害者のボランティアまでした。しかし、それはあくまで自らに課した“規範”だ。そのストレスは溜まる一方で、はけ出す手段をみつ子は持たなかった。それは次第にみつ子の心を蝕んでいく。みつ子は寮に帰ると過食と嘔吐を繰り返した。

 あくまで“良い子”でなければならない。そうでなければ「みっともないし恥ずかしい」。これはみつ子が一貫して持ち続けた価値観だった。そんな優等生の生活が6年ほど続いた。大学病院に勤める傍ら、みつ子は仏教サークル主催の座禅会に参加している。そこで出逢ったのが後に夫となる文京区にある寺の副住職だった。

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