ギャル文化以降の女子カルチャーとは【前編】

「反オヤジマインドの敗北」――ギャル雑誌の衰退が女子カルチャーに残す課題

2014/09/03 19:00
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Photo by t-miki from Flickr

 ギャル雑誌の終焉――。この2年間で、「GLAMOROUS」(講談社)「小悪魔ageha」(インフォレスト)「EDGE STYLE」(双葉社)「BLENDA」(角川春樹事務所)とギャル雑誌の休刊が相次いでいる。今年5月には、ギャルカルチャーを牽引してきた元祖ギャル雑誌「egg」(大洋図書)までもが、19年の歴史に幕を降ろした。その創刊(1995年)から3年間、「egg」の制作に深く携わった編集者でフォトグラファーの米原康正氏に、話を聞かないわけにはいかない。ギャル雑誌は何に負けてしまったのか?

――90年代中盤から隆盛だったギャル雑誌が、この数年でみるみる沈んでいってます。この衰退をどう見ていますか?

米原康正氏(以下、米原) ギャル雑誌というよりも、ギャル文化自体が衰退したと考えた方がいいね。ギャル文化が全国区になったのは1995年頃。女子高生のイメージが、“お下げ×膝下スカート×くるぶしソックス”で画一化されていた中、「egg」が初めて、当時一番イケてた街・渋谷でリアルにはやっているスタイルを載せ、それが同時に全国の同世代に広がっていったんだ。

――ギャルといえば渋谷、という地域性も確立されました。

米原 そもそもギャル文化は、身近にいるカワイイ先輩への「私もあのファッションを真似したい!」っていう女子同士のあこがれから生まれたもの。109の卒業生たちが“私たちの着たい服(ブランド)を作り”、マーケットができ、カリスマ店員が話題になった辺りまではいい流れだったんだけど……途中からギャル服は、オッサン受けするための服に変容してしまった。つまり、一旦服が売れ始めると、「人に何と言われようが好きな服を作って、着る」というギャルマインドを何もわかってないオジさんたちが、ギャルに物を買わせるために群がってきて、ギャル文化を消費文化に書き換え始めた。

 「あの子に着せると、服が売れるらしい」と言い出し、その子は、本来PRしなくてはならない“私たちがクリエイトした服”ではなく、オジさんたちが推すブランドの広告塔になっていく。そうしてクリエイターがお金を持ち始めると、今度は更に金を稼ごうと自分たちの服をハイブランド化しはじめ……高校の後輩たちが真似できる安価なファッションよりも、「お金のかかる服の方がカワイイ」という価値観を持つようになってしまった。「お金を持ってる奴がエラい!」って、まさにオジさんの価値観なんだよね。ギャルブランドが盛んに外人モデルを起用しはじめた2006年頃が、その分岐点だと僕は思っている。外人モデルはハイブランド思考の表れ。

――女子の間で共有されていた価値観が、金儲け主義=オジさん的価値観に飲み込まれてしまったんですね。つまり“オジさん”というのは、一般的な意識を代表する人という意味で。

米原 そそもそも渋谷にコギャルが出てきた当初は、「ちょっと、オジさんをバカにしてやろうぜ」的な、強固な“反オジさんマインド”が根底にあったんだよ。例えば、オジさんとご飯食べるだけで、1万円くらい引っ張ってきたりね。援助交際だって、もともと売春ではなく、そんな“オジさんイジメ”のことだったのに、大手メディアに取り上げられることで、いつしか歪んで伝わってしまった。要は、テレビを作っているのがオジさんたちだから、まともに彼女たちを取材すると自己批判になりかねない。そこでわかりやすく、「援助交際=売春」ってことにして放送したわけ。これがギャルと渋谷へのネガティブイメージの発祥。

 本来なら、メディアはお洒落になっていくコギャルたちのクリエイティブな流れをドキュメントすべきだったのに、コギャルから汚ギャルへと過激化する女の子たちばかりを追い掛けて「バラエティ化」することに精を出した。最後の方にはヤマンバとか、訳のわからないのが出てきて、地方の人たちは、それを見て、“東京ではヤマンバがはやっているらしい”となっていった。「egg」もその流れに乗っかるんだけど、ギャル文化はそこで一度崩壊したと思っている。

『Vivace(ヴィヴァーチェ)』
もう女子はオヤジと闘うのもバカにするのも疲れちゃったかも
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