『美少女展』インタビュー

なぜ美少女はもてはやされるのか? “現代の欲望投影装置”としての美少女の魅力と怖さ

2014/08/10 16:00
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橋本花乃《七夕》 1930~31(昭和5~6)年頃 大阪新美術館建設準備室蔵

和久井 それまで日本は農耕国家でしたから、家族全員で農業にいそしんでいましたが、都市化によって夫が会社に勤めて妻が家庭を守るというスタイルが生まれました。まさに現在放映中の朝の連続テレビ小説『花子とアン』(NHK)の女学校華やかなりし時代ですね。

工藤 20世紀初頭という時代は、第一次世界大戦が典型ですが、破壊力のある兵器の開発によって大量殺傷が可能になった時代です。実際に戦争で手や足をケガで失う兵士が大量に出て、義手や義足といった、身体を補う義肢装具の技術が進んでいきます。当時、シュルレアリストたちの多くが身体欠損に対する興味関心を持ったことも、そうした時代性と無縁ではないはずです。機械と身体の融合というモチーフも当然発生していくでしょう。

和久井 四肢を欠損した身体に性的嗜好を持つ「アポテムノフィリア」や、自分の身体を欠損させたいと願う「スマトパラフィリア」というフェティッシュもありますね。20世紀は「身体感」を意識する時代だということでしょうか。

工藤 ロボットには、20世紀というそれまでとは劇的に変化した時代の新しい価値観、新しい身体観が反映されています。包帯を巻いている少女に萌えたりするのも、「不具」に対するフェッティシュな感覚がその根拠になっているんでしょうね。ロボットと少女は20世紀的身体観という意味において、きわめて親和性が高いモチーフと言えるかもしれません。

和久井 包帯と美少女といえば、『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイが思い浮かびますが、確かに彼女もロボットに近い存在ですね。「壊れたロボット」って、ものすごく哀愁を誘いますが、それはそもそもが「人間の身体を補い労働するもの」だからかもしれない。少女モチーフで、包帯を巻いたり、ケガをしているのが「萌え」になるのは、少女が「完璧」で「無敵」だからなのではと思います。少女の無機質で中性的なイメージは、性に翻弄されず、何にも属さないという意味で、人に完璧さや無敵さを感じさせ、そんな少女が、「壊れている」 という切なさが萌えなのではないでしょうか。

工藤 メガネっ娘も、足りない能力を機械で補っているという部分に僕は萌えます。ヘッドフォン×少女というモチーフもよく見られますが、僕は同じ理由によると考えています。

和久井 うわあ、それは自分にはない感覚でした……。メガネ男子は好きですが、単に頭がよさそうで理性的だろう、程度です……。

工藤 マッチョな視点で見れば、男性の欲望を投影しやすい対象は、ロボットか少女なんですよね。極端に言えば、それらは中身が「からっぽ」だから。ゆえに、この2つは現代における欲望の投影装置として機能させられることが多い。

和久井 少女もロボットも、支配されるべき存在だということでしょうか。

工藤 でも、支配できるはずの存在に、最終的に支配されてしまう……というのはよくある話ですよね。前出の『R.U.R.』もまさにそうで、労働力として作られたロボットが最後には人間を滅ぼすという内容でした。何事も「極端」はいけないってことですよ(笑)。

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タカノ綾《精霊船にのって》 2014(平成26)年 (c)2014 Aya Takano/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.

和久井 『R.U.R.』が衝撃だったおかげで、アシモフのロボット工学三原則というような決まりもできましたが、知能の優れたロボットが人知を凌駕するという話も、またよくあるモチーフですよね。『銀河鉄道999』なんかも人間が機械に危ないところまで追い詰められてるし。

工藤 少女も、存在として同じ「危うさ」を持っていますね。無限に欲望を投影できるってことはまさに「ブラックホール」。やがて全てを吸い取られちゃう(笑)。

和久井 まさにナボコフの『ロリータ』ですね。ところで「トリメガ研究所」が開催する展覧会は、ちょっとオタク臭がします。もちろん、褒めているんですが。正当な美術に馴染みの薄い人でも興味が湧きますから。

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