[連載]悪女の履歴書

犯人に仕立て上げられた1人の女性――冤罪叫ばれる「恵庭OL殺人事件」の数奇な巡合

2014/06/01 19:00
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Photo by mrhayata from Flickr

(事件概要など前編はこちら)

 さらに不可解な出来事もあった。大迫が逮捕される前、坂本さんの遺品が大迫の自宅近くで焼かれていたことだ。これも大迫犯行説の有力な証拠の1つだったが、そこにはとんでもない事情が隠されていた。遺品が焼かれた当日、大迫は午後11時まで警察で取調べを受けていた。心身共に疲労していたことは、周囲の関係者も証言していることだ。そんな状況の中で、大迫は夜中に家を抜け出し、3.6キロ先の大雨の後のぬかるみの林まで行ったと警察は主張したのだ。しかし、大迫の自宅周辺には24時間態勢で監視する4人の刑事たちがいた。しかも刑事たちは1時間毎に大迫の車を確認していたというが、大迫が車で外出した形跡もなければ、車に泥もついていなかった。いわば、警察自身が大迫のアリバイ証人となるはずだが、しかしそうではなかった。警察は「我々の目を盗んでコッソリ徒歩か別の車で行った」などと間抜けな理屈を主張したのだ。

 警察が主張するように3.6キロを徒歩で往復すれば、通常でも2時間近くはかかる。真っ暗な闇の深夜、ぬかるみの中と考えればそれ以上の時間がかかるはずだ。またほかの車で外出したなら警察は当然それを察知するだろう。そうなれば大迫以外の第三者がそれを実行したと考えた方が自然である。

■公正な目など初めからない、警察・裁判所の身内意識

 このように状況証拠にしても怪しいものばかりであり、客観的に見れば別の第三者が真犯人、または共犯の可能性さえ否定できない状況だ。しかし警察は、当初からの「大迫犯人説」に固執するあまり、きちんとした裏付け捜査をしなかった。さらに、裁判では弁護側は大迫の車中にあったロッカーキーを警察が車に置いた可能性さえ示唆しているが、これも思い込み捜査に徹した警察の体質を考えれば、突拍子のないこととは言えないはずだ。「大越が犯人に間違いない。引っ張ってきて自供させれば科学的捜査なんて不用」と疑わず、手抜き捜査を行った様がくっきり浮かんでくる。

 だが問題はこうしたずさんな捜査をした警察や検察だけではない。裁判所も同様に、不可解な状況証拠を疑わず、検察の証拠隠蔽や、捜査のずさんさにも寛容な態度を貫いた。例えばアリバイが成立するという弁護側の主張に対し「もっとスピードを出していれば早くつくはず」だと非科学的な物言いまで駆使して、検察と同一歩調をとる、といった具合に。

 それを物語るエピソードがまだある。検察の描いたストーリーによると、大迫は絞殺した遺体を車から引きずって降ろし、灯油を10リットルかけてすぐさま現場を去った。そして被害者は炭化状態になったとされる。しかし、弁護側の豚を使った燃焼実験では、10リットルの灯油で焼いても炭化状態などにはならず、内臓も熱変化することもない。ガソリンかジェット燃料、もしくは灯油では何回もかけてじっくり焼かないと炭化しないとの結果が出たにもかかわらず、裁判所はいとも簡単にそれを退けた。警察だけでなく裁判所もまた、科学的結果、物証などに重きをおいていないし、公正な目で事件に向き合おうともしていないことは明らかだ。加えて「警察や検察は正しく間違うことなどない」という思い込み、身内意識も働いていたことも想像に難くない。

 そんな暗黒ともいえる裁判の結果、一審、高裁、最高裁でも有罪判決が支持され、2006年9月25日に大迫に懲役16年の刑が確定した。

 今回、あらためて関係資料や記事を読み、素人目でも大迫が真犯人だという確証はどうやっても持つことができなかった。それは大迫の人柄などといったレベルではなく、全ては警察のずさんさがもたらすものだ。それどころか、別の真犯人の存在さえ浮き彫りにされる。当局の状況証拠によっても、大迫以外にも犯行は可能なのだから。

■嘘と不幸が重なった数奇な悲劇

 だが一方で大迫にもいくつものウソがあった。事件前夜、大越は10リットルの灯油を購入したが、事件後「警察が大迫の写真を持って灯油を購入した店を見つけている」と、会社関係者から聞き、恐ろしくなって持っていた灯油を破棄してしまった。しかし、そのことが逆に疑われると思い直し、同じ量の灯油を再度購入した。だが、この事実を当初は弁護士にさえ話していなかった。また被害者の携帯番号は知らないし、かけたこともないと話していたが、これも嘘だった。さらに、被害者の坂本さんが自分の恋人と付き合っていることなど知らないとも供述していたが、これも事実ではない。坂本さんへの電話は100回以上が相手に届いていないとはいえ、躊躇しながらも何度も無言電話をかけようとしていたことは事実だった。しかもこの電話を事件当日からなぜかピタリと止めている。

 さらに不幸な状況もあった。坂本さんと一緒に午後9時40分に退社した大迫は、坂本さんと別れて1人で車に乗って大型書店に行ったとされる。だが、ここで何も購入しなかった。もし書店に現在のように多数の監視カメラがあれば、それは立証されたはずだし、もし大迫の嘘なら、それも証明されたはずだった。会社からスタンドへ行くまでの間の約2時間の空白――。

 29歳の女性が警察から殺人を疑われ、気が動転した末のおろかな嘘だとしても、あまりにそのツケは大きく、そしてあまりにも不幸な偶然が重なってしまった。

 もし警察が綿密なウラ取り捜査をしていれば、別の真犯人が浮上した可能性も十分あっただろう。また百歩譲ってもし大迫が本当に真犯人だとしたら、彼女しか犯行が出来ないという揺るぎない状況証拠が構築され、警察も疑いの目で見られることもなかったはずだ。だが、全ては警察のずさんな捜査によって闇に葬られようとしている。その結果は重大なものだ。大迫自身だけでなく被害者家族にも大きな遺恨を残すことになってしまった――。

 冤罪を主張し再審を請求した大迫だが、14年4月21日にそれは棄却されている。足利事件や袴田事件の再審を長期に渡って棄却放置して批判された裁判所だが、その教訓は未だ生きていないのか。

 その扉は閉ざされたままだ。
(取材・文/神林広恵)

参考文献:『恵庭OL殺人事件』(伊東秀子 日本評論社)

最終更新:2019/05/21 18:52
『絶望の裁判所 (講談社現代新書)』
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