深澤真紀の「うまないうーまん」第11回

遺伝子にこだわる向井亜紀と、姓を残したい野田聖子。不妊治療で浮き彫りになる法の難しさ

2014/02/22 16:00

 そして、野田聖子の不妊治療である。

 自民党で建設大臣などを務めた大物政治家・野田卯一の孫として生まれた聖子は、出生時は島姓だっため、祖父の養女となり「野田姓」を受け継いで政治家を志すこととなる。87年に当時としては最年少の26歳7カ月で岐阜県議員に当選後、93年に衆議院議員に当選、98年には37歳の若さで郵政大臣に就任、時の小渕恵三総理には「将来の女性首相候補」とまで言われていた。

 そして01年に40歳で保守党議員の鶴保庸介との事実婚を発表し結婚式も挙げるが、07年に別れる。ここで事実婚を選んだのは、養女にまで入って変わった野田姓を捨てるわけにはいかず、鶴保も政治家として野田姓を選ぶことが難しかったからだ。野田は鶴保との間に14回の不妊治療に取り組んだが、1度妊娠したものの流産した(『私は、産みたい』/新潮社の著書に詳しい)。

 郵政民営化に反対したことで自民党を離れていた野田は06年に復党、09年に「不妊治療によって49歳で妊娠した」と発表した。飲食店を経営する事実婚の夫の精子とアメリカのクリニックから提供された卵子による体外受精を行い、その受精卵を自身の子宮に移して妊娠し、10年に50歳で出産したのだ(『生まれた命にありがとう』/新潮社より)。しかし、提供卵子による不妊治療は現在の日本では原則的に認められないこと、さらに子供に重い障害があったこともあり、賛否両論をもって迎えられた。その後、事実婚の夫とは婚姻届を提出し、夫が野田姓を選択した。野田は子供の闘病もありながらも、夫や家族の助けも借りて、現在は自民党総務会長という重職に就いている。

 さてこの子供には野田との血縁はなく、遺伝子的な母親は卵子を提供した女性だが、日本では分娩者が母親になるため、実子として届け出られている。向井とは逆のケースである。ただし野田は血縁には必ずしもこだわらず、養子縁組も検討しているが、年齢が高いこと、共働きであることなどからかなわなかったのだ。

 日本で養子が欲しい場合は児童相談所などの公的機関と民間の斡旋団体に登録する。これらの団体が「養子を得るための条件」として設定している項目には、1.夫婦の年齢(とくに母親)、2.部屋の広さ、3.育児に専念する大人がいること(夫婦の親でもかまわない)などが含まれるので、なかなか困難なのである。これは日本で養子縁組が広がらない大きな原因でもあり、野田自身も不妊治療や夫婦別姓と養子制度の見直しを進めようとしている。

さて、野田が向井のように血縁や遺伝子にこだわらなかったのは、それよりも政治家である「野田」という姓の方が大事だったからだろう。そのために最初の結婚は事実婚、次の結婚でも当初は事実婚を選び、結婚後も夫に自分の姓を名乗ってもらっているわけだ。そして、野田は不妊治療を選んだ理由を、「子供がいてこそ家庭である」という「保守政治家としての姿勢」だと言っているが、その一方で保守政治家の多くが反対する夫婦別姓に対しては推進論者の立場でもあるのだ。女性政治家にとって、保守であることは難しいのだなと思わされる。

 同じ不妊治療でも、向井のように「血縁や遺伝子」にこだわることもあれば、野田のように「家族制度や姓」にこだわることもあり、その動機は一様ではない。不妊治療や、夫婦別姓や、養子制度の見直しは重要な問題であるが、これらを必要とする人たちには、このようにさまざまな動機がある。つまり「家族にはさまざまな形がある」というあたりまえの考え方こそが、さまざまな制度の見直しにとって最も重要な思想だということなのだ。

深澤真紀(ふかさわ・まき)
1967年、東京生まれ。コラムニスト・編集者。2006年に「草食男子」や「肉食女子」を命名、「草食男子」は2009年流行語大賞トップテンを受賞。雑誌やウェブ媒体での連載のほか、情報番組『とくダネ!』(フジテレビ系)の金曜コメンテーターも務める。近著に『ダメをみがく:“女子”の呪いを解く方法』(津村記久子との共著、紀伊國屋書店)など。

最終更新:2019/05/17 20:09
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